氷川村(読み)ひかわむら

日本歴史地名大系 「氷川村」の解説

氷川村
ひかわむら

[現在地名]奥多摩町氷川

現町域の東部中ほどに立地。地内で日原につぱら川が多摩川に合流する。青梅おうめから甲州へ至る甲州裏街道(青梅街道)が通り、当地で南の檜原ひのはら(現檜原村)、北の日原村への道が分岐する。南氷川の羽黒三田はぐろみた神社蔵の扁額に永正三年(一五〇六)六月一五日、「三田弾正忠平次秀、武蔵国多西郡川辺神社羽黒山座穴沢天神起立者」とあり、永正元年の飢饉が収まることを祈願した勝沼かつぬま(現青梅市)領主三田次秀が、同三年に羽黒権現社(相殿穴沢天神)社殿を再建している。留浦とずらの臨済宗建長寺派の宝福ほうふく寺蔵木造薬師如来像台座銘に天文三年(一五三四)九月「武州杣保氷川郷由木村金蔵院」とある。


氷川村
ひかわむら

[現在地名]所沢市山口やまぐち

川辺かわべ村の東にあり、柳瀬やなせ川が同村から東の町谷まちや村へ流れる。東の打越うちこし村との境を古鎌倉街道が通る。狭山丘陵山口谷の村々の一で、入間いるま郡山口領に属した。村名は氷川社(現中氷川神社)があることに由来するという(風土記稿)。田園簿では田一三石・畑三二石余。幕府領で、以後変わらない。ほかに氷川社領(国立史料館本元禄郷帳では別当普源院領)四石があった(旧高旧領取調帳など)。延宝五年(一六七七)検地帳(粕谷家文書)によれば名請人は八人、反別は田七反余・畑屋敷四町余で、うち上畑が一町六反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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