永徳寺村(読み)えいとくじむら

日本歴史地名大系 「永徳寺村」の解説

永徳寺村
えいとくじむら

[現在地名]金ヶ崎町永栄ながさかえ

百岡ももおか村の南西に続き、南は胆沢川に限られ、キッツ川・永沢ながさわ川が流れる。延文元年(一三五六)に開創された曹洞宗永徳寺の所在地で、永禄三年(一五六〇)四月二四日「伊沢郡永徳寺一村」は、亡親石見守平親信の菩提を弔うため葛西晴信から永徳寺に寄進された(「葛西晴信寄進状」永徳寺文書)。なおこれ以前は寺窪てらくぼ村と称したという(安永風土記)。寛永一九年(一六四二)の永徳寺村検地帳(県立図書館蔵)によれば、田方五八町一反余・代七二貫三三六文、畑方四六町八反余・代一四貫八九五文、茶畑四畝余・代一〇六文、名請人数五一。正保郷帳では田方六八貫六六九文・畑方一二貫三五九文、ほかに新田高六貫三〇九文。


永徳寺村
えいとくじむら

[現在地名]玉名市永徳寺

東境を南流する菊池川が蛇行して西へ流れ、西境を流れる繁根木はねぎ川と合流する。三方を川に囲まれ北は高瀬たかせ町に接する。「国誌」によれば村名は村内にあった永徳寺に由来し、古くは津留つる村と称したという。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳には田一町八反余・畠屋敷八町一反五畝余、分米七二石八斗余とある。近世は坂下手永に属し、文化八年(一八一一)の同手永略手鑑によれば高二一六石九斗余・物成一三八石三斗余で、田九町一反九畝余・畑八町七反一畝余、惣庄屋直触一人が居住していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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