永松東海(読み)ながまつ・とうかい

朝日日本歴史人物事典 「永松東海」の解説

永松東海

没年:明治31.5.11(1898)
生年天保11.9.29(1840.10.24)
幕末明治期の蘭方医,化学者。肥前国(佐賀県)佐賀の出身。本姓は原。蘭医ボードイン医学,化学を学び,佐賀の医家永松玄洋の養嗣子となる。明治維新後,大阪府医学校講師を勤めたのち明治7(1874)年初代東京司薬場長となり,その創設期の整備に尽力したが,病気のため1年足らずで退任,同8年5月から東京医学校で生理学を講じた。『日本薬局方』編纂委員のひとりとして薬局方制定に尽くし,陸軍軍医学校設立(1888)と共に同校教官となる。東京で没し,青山墓地に葬られた。<著作>『生理学』『定性化学試験要領』<参考文献>『国立衛生試験所百年史』

(宗田一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永松東海」の解説

永松東海 ながまつ-とうかい

1840-1898 幕末-明治時代の蘭方医,化学者。
天保(てんぽう)11年9月29日生まれ。永松玄洋の養子長崎でボードインにまなび,明治7年東京司薬場(現国立衛生試験所)初代場長。日本薬局方編纂(へんさん)委員として日本薬局方の制定につくす。のち陸軍軍医学校教官。明治31年5月11日死去。59歳。肥前佐賀出身。本姓は原。著作に「生理学」。

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