ボードイン(読み)ぼーどいん(その他表記)Anthonius Franciscus Bauduin

精選版 日本国語大辞典 「ボードイン」の意味・読み・例文・類語

ボードイン

  1. ( Anthonius Bauduin アントニウス━ ) オランダの陸軍軍医。文久二年(一八六二)来日、長崎精得館で教育診療にあたった。(一八二二‐八五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボードイン」の意味・わかりやすい解説

ボードイン
ぼーどいん
Anthonius Franciscus Bauduin
(1822―1885)

オランダの陸軍軍医。お雇い外国人。オランダのユトレヒト大学とフローニンゲン大学医学を学び、1850年ユトレヒトの陸軍軍医学校教官を務めた。1862年(文久2)長崎養生所でのオランダ人教師ポンペ後任として来日、40歳のオランダ陸軍一等軍医であった。外科、ことに眼科を得意とし、ヘルムホルツ検眼鏡を日本へ紹介するなどした。1867年(慶応3)幕府から江戸に設立される海軍病院ならびに内外科学校の準備をゆだねられて帰国中、戊辰(ぼしん)戦争が起こり、ヨーロッパから送った病院器材は明治新政府に没収され、中央の医学校教官首座もイギリス人のウィリスに奪われた。1869年(明治2)から大阪府仮病院へ処遇されて軍事病院(軍医学校)を兼務、軍陣外科学、選兵論を講じたが不遇であった。1870年帰国。

[神谷昭典 2018年8月21日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ボードイン」の解説

ボードイン Bauduin, Anthonius Franciscus

1822-1885 オランダの医師
1822年6月20日生まれ。文久2年(1862)長崎養生所の教師ポンペの後任として来日。慶応元年医学から物理化学を分離して分析窮理所を創設し,ハラタマをまねく。幕府から江戸に設置する医学校の準備をゆだねられて帰国したが,幕府の崩壊で実現しなかった。4年再来日,大阪医学校,大学東校でおしえ,明治3年帰国。1885年6月7日死去。62歳。ユトレヒト出身。

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367日誕生日大事典 「ボードイン」の解説

ボードイン

生年月日:1820年6月20日
オランダの軍医
1885年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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