朝日日本歴史人物事典 「永楽屋東四郎」の解説
永楽屋東四郎(初代)
生年:寛保1(1741)
安永期(1772~81)から,明治まで続いた名古屋の書肆の初代。名は直郷。片野氏。代々東四郎と称す。店を東壁(璧)堂と号した。店舗は転居ののち,玉屋町下之切に続いた。初代は藩主の学問振興策に応じ,岡田新川など藩儒,藩士の著書を出版し,藩校御用を務めたという。永楽屋は尾州書林仲間の公認(1794)により地歩を占め,江戸の蔦屋との提携ののち,美濃大垣と江戸に出店を持った。文化期(1804~18)に次いで天保4(1833)年ごろ日本橋通本銀町2丁目に構えた江戸店は,数年のうちに江戸書物問屋に加入した。三都に並ぶ大店になるには,初代と,「文屋古文」の狂名を持つ2代善長(生年不詳~1836)の力に拠るところが大きい。3代は善教,4代は善功である。刊行書は本居宣長一門の国学書,横井也有『鶉衣』や井上士朗『枇杷園七部集』などの俳書,『北斎漫画』他の絵本類など幅広い。<参考文献>岸雅裕「尾藩書肆永楽屋東四郎の東都進出について」(『名古屋市博物館研究紀要』7集),「翻刻『東壁堂蔵版目録全』(同8集)
(安永美恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報