朝日日本歴史人物事典 「永谷宗七郎」の解説
永谷宗七郎
生年:天和1.2.8(1681.3.27)
江戸中期に宇治製(青製)煎茶の製法を創案した製茶業者。山城国綴喜郡宇治郷湯屋谷村(宇治市)の人。諱は義弘。行弘とも名乗る。世襲名は三之丞,入道して宗円。宗七郎以前の煎茶は摘採,製茶の過程が粗雑で品質が劣悪であった。元文3(1738)年,宗七郎は抹茶(碾茶)の製法にのっとり,覆下茶園の若芽だけを摘んで,これを焙炉上で手揉みで乾燥,梨子蒸揉捻の煎茶を創作,茶業界に一画期をもたらし,宇治茶の名を高めた。江戸の茶舖,4代目山本嘉兵衛嘉道(一説に5代目徳潤)はこの新製品を色沢香気ともにすぐれた煎茶として高く評価,これを諸侯に贈り絶賛を博した。<参考文献>大林雄也『大日本産業事蹟』(平凡社『東洋文庫』),安達披早吉『京都府茶業史』
(葉山禎作)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報