諏訪根自子(読み)スワネジコ

デジタル大辞泉 「諏訪根自子」の意味・読み・例文・類語

すわ‐ねじこ〔すは‐〕【諏訪根自子】

[1920~2012]バイオリニスト東京の生まれ。本姓大賀小野アンナモギレフスキー師事。12歳でデビュー昭和11年(1936)にベルギーへ留学し、その後もパリベルリンなどで活動。第二次大戦後に帰国した後は、日本国内で活躍した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「諏訪根自子」の意味・わかりやすい解説

諏訪根自子
すわねじこ

[生]1920.1.23. 東京
[没]2012.3.6. 東京
バイオリニスト。本名大賀根自子。4歳でバイオリンを始め,ロシアの名教育者である小野アンナや名手アレクサンドル・Y.モギレフスキーに師事。巨匠エフレム・ジンバリストに才能を認められ,12歳でリサイタルデビュー。歌心あふれる伸びやかな演奏に,可憐な容姿も相まって,日本中に天才少女ブームを巻き起こした。1936年,16歳でベルギーに留学し,1939年にヨーロッパデビュー。第2次世界大戦が勃発して以降も帰国せず,ドイツに渡り,ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などと共演。日独友好のシンボルとなり,ナチス・ドイツ高官のパウル・J.ゲッベルスから名器ストラディバリウスを贈られたというエピソードでも知られるようになったが,その真偽ははっきりしない。終戦後に帰国してからは,井口基成や安川加寿子らとともに日本の楽壇を率いたが,1960年代以降は表舞台から遠ざかった。

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知恵蔵mini 「諏訪根自子」の解説

諏訪根自子

日本人として初の国際的バイオリニスト。1920年1月23日生まれ、2012年3月6日没。3歳でバイオリンを始め、12歳でコンサートデビュー。36年、16歳にして外務省後援でベルギーに留学し、36年ヨーロッパデビューを果たしたが、39年、第二次世界大戦が勃発。42年、パリからドイツに移住する。翌年、クナッパーツブッシュ指揮のベルリン・フィルハーモニー・オーケストラという世界最高峰のペアと共演し、ナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスよりバイオリンの名器ストラディバリウスを贈られた。戦争の最中、パリとドイツを中心に活躍し、類い希な演奏力と天性の美貌もあいまって人気を集めたが、ベルリン陥落後、米国に拘束され、45年の終戦とともに帰国。その後も日本で演奏活動を続けたが、60年ころに第一線を退き、以降伝説の人物となっていた。たが81年、突如バッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタパルティータ」の新録音を出し、再び大きな注目を集める。12年9月、脳梗塞後遺症のため死去していたことが報道された。享年92。

(2012-09-26)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「諏訪根自子」の解説

諏訪根自子 すわ-ねじこ

1920-2012 昭和-平成時代のバイオリニスト。
大正9年1月23日生まれ。小野アンナ,モギレフスキーに師事。12歳の初リサイタルで天才少女と評判になった。昭和11年ヨーロッパに留学,20年帰国。井口基成,安川加寿子らと共演,35年ごろまで活躍したのち,ステージからとおのいたが,58年にカムバック。平成24年3月6日死去。92歳。東京出身。本名は大賀根自子。

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世界大百科事典(旧版)内の諏訪根自子の言及

【バイオリン】より

…大正時代にはジンバリストEfrem Zimbalist(1889‐1985),F.クライスラー,J.ハイフェッツなどの名演奏家が多数来日し,バイオリンへの関心が高まった。しかしバイオリンが一般化したのは昭和にはいってからであり,第2次世界大戦直前の時期には諏訪根自子,巌本真理,江藤俊哉,岩淵竜太郎などの演奏家が活躍している。第2次大戦以後,演奏,製作技術は急速な進歩を遂げ,バイオリンが衰退しつつあるヨーロッパに代わって,世界各国で独奏家としてまた交響楽団の一員として活躍する日本人演奏家が増大している。…

※「諏訪根自子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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