デジタル大辞泉 「池田恒雄」の意味・読み・例文・類語 いけだ‐つねお〔‐つねを〕【池田恒雄】 [1911~2002]出版経営者。新潟の生まれ。早大在学中から雑誌「野球界」の編集に携わり、編集長を経て、昭和21年(1946)「ベースボール・マガジン」を創刊。ソ連に野球を紹介するなど、国際交流にも尽力した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「池田恒雄」の解説 池田 恒雄イケダ ツネオ 昭和・平成期の出版経営者 ベースボール・マガジン社会長;恒文社会長。 生年明治44(1911)年5月3日 没年平成14(2002)年2月9日 出生地新潟県北魚沼郡小出町 学歴〔年〕早稲田大学文学部英文科〔昭和10年〕卒 主な受賞名〔年〕ルーマニア勲二等功労章〔昭和46年〕,ブルガリア勲一等文化勲章〔昭和49年〕,ハンガリーゴールドメダル記念賞〔昭和50年〕,ユーゴスラビア勲一等勲章〔昭和53年〕,ハンガリー最高国家国旗勲章〔昭和53年〕,ポーランド国家文化功労賞〔昭和54年〕,勲三等瑞宝章〔昭和62年〕 経歴学生時代から博文館の雑誌「野球界」編集部でアルバイト、昭和12年編集長となり、以後、野球雑誌編集に情熱を傾ける。21年ベースボール・マガジン社を設立。同年創刊の「週刊ベースボール」は多くのファンに愛読され、戦後のスポーツ雑誌の草分けとなった。37年恒文社を興して「ハンガリー史」など東欧関係書を出版。またスポーツを通じて欧州各国とも交流。ハンガリー、ルーマニア、ポーランドなどから勲章を受けた。58年日本セイシェル協会会長。平成元年出版業界で初の野球殿堂入り。正力松太郎賞、野球殿堂選考委員などを歴任した。座右銘は逍遙の言葉“行衢道者不至”だった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「池田恒雄」の解説 池田 恒雄イケダ ツネオ 肩書元・参院議員(労農党) 生年月日明治42年4月 出身地宮城県 学歴帝国農会技術訓練所卒 経歴昭和22年の第1回参議院選茨城地方区に無所属で出馬、3年議員として当選。当選1回。 没年月日昭和60年11月7日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田恒雄」の解説 池田恒雄 いけだ-つねお 1911-2002 昭和-平成時代の出版経営者。明治44年5月3日生まれ。早大在学中から博文館の雑誌「野球界」の編集にたずさわり,昭和10年に編集長。21年ベースボールマガジン社をおこし「ベースボール・マガジン」誌を創刊。37年恒文社をつくる。61年ソ連に野球を紹介し,野球交流の基礎をきずいた。平成元年野球殿堂入り。平成14年2月9日死去。90歳。新潟県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「池田恒雄」の解説 池田 恒雄 (いけだ つねお) 生年月日:1911年5月3日昭和時代;平成時代のベースボール・マガジン社会長;恒文社会長2002年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by