池間村(読み)いきやまむら

日本歴史地名大系 「池間村」の解説

池間村
いきやまむら

[現在地名]平良市池間いけま

池間いきやま島の東部を占める。南西部は前里まいざとう村に接する。方音ではイキャマ。狩俣かまた間切に属し、のち平良ぴいさら間切に属する。地内の上原ういばる遺跡・アラストグス遺物散布地では遺跡の年代は不明ながら青磁片が採集され、同散布地からウハルズ御嶽の周辺の上原遺跡が現在の集落前身と考えられる。ほかムイスク遺跡などが確認されている。池間の祭祀前里村と共同でウハルズ御嶽(通称ナナムイ)を中心に行われている。同御嶽は御嶽由来記にいう池間御嶽と同一と考えられている。両島絵図帳では狩俣間切のうちに「いけま村」とみえ、高二九〇石余。宮古島の諸村位定では布中・石(穀)(里積記)。村番所は村の真ん中に南西向きに置かれていた(雍正旧記)。乾隆三八年(一七七三)里村落雷があって当村の百姓奴知手が死亡した(「球陽」尚穆王二二年一一月一一日条)。同五〇年粟種と、飢餓病人のための救米がもたらされた(「忠導氏勤書」平良市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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