沖縄文学(読み)おきなわぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沖縄文学
おきなわぶんがく

沖縄文学は、奄美(あまみ)、沖縄、宮古(みやこ)、八重山(やえやま)の四つの諸島にまたがる地域で生まれた文学の総称で、古代文学と近代文学の二つに分けられる。古代文学とは、沖縄が歴史的出発(3世紀ごろ~6世紀ごろ)をしてから19世紀後半ごろまでの間に琉球(りゅうきゅう)方言で形象された文学をさし、近代文学とは、19世紀後半以後、主として日本的標準語で形象された文学をさす。古代文学と近代文学の間には、歴史の変革に伴う文学の「場」の構造的な変質と、文学意識、および意識の媒体となる言語の改まり(琉球語→日本語)が明らかであり、それらをもって区別の基準とする。ここで古代文学という場合の古代は、近代に対する前近代的な古い時代という意味で用いる。[外間守善]

古代文学

古代文学の内容は、その形態と発想の側面から呪祷(じゅとう)文学、叙事文学、叙情文学、劇文学の四つに分けることができる。呪祷、叙事、叙情の三つは、そのほとんどが唱え物か謡物(うたいもの)、あるいは歌謡として韻文的に口承されてきたものであり、劇文学も、韻律を伴った台詞(せりふ)に、音楽、舞踊が組み合わされたもので韻文的である。このように、沖縄の古代文学はそのほとんどが韻文で構成されており、散文形式のものはかろうじて狂言や擬古文などにみられる程度である。沖縄文学は、呪祷・叙事性を基層にした呪詞(じゅし)・歌謡中心の文学であることと、文学の媒体である言語が、ほとんど島ごとに異なった姿をみせていることが大きな特徴である。それゆえ、その形態、発想の多様さをそのまま日本文学史のなかに包み込むことはむずかしい。ただ、両者は、言語も文化も源を同じくするものであり、文学の形態、発想そのものも本質的には同質で、日本文学の古形、あるいは独自に変成したとみられるものである。
〔1〕呪祷文学 呪祷文学というのは、言霊(ことだま)信仰に基づいた呪言(じゅごん)によって唱えたり謡ったりするもので、奄美のクチ(口)、タハブェ(崇(たか)べ)、オモリ、マジニョイ(呪(まじな)い)、沖縄のミセセル、オタカベ(お崇べ)、ヌダティグトゥ(宣立言)、ティルクグチ(照るく口)、ティルル(照るる)、マジナイグトゥ(呪い言)、宮古のニガリ(願い)、マジナイグトゥ(呪い言)、タービ(崇べ)、ピャーシ(拍子)、フサ(草)、ニーリ(根の方)、八重山のカンフチ(神口)、ニガイフチ(願い口)、カザリフチ(飾り口)、ジンムヌ(呪文)などがある。
 例を沖縄諸島にとれば、ここに伝わる呪詞、呪言のうち、もっとも古いと思われているものはミセセルとオタカベである。原始社会では自然に調和するための祭りや呪術が盛んに行われた。そのような社会で、超人間的な力をもつ神にすがり、五穀豊穣(ほうじょう)の予祝をしようとする願望が、神祭りにおけるオタカベとなって発達したものである。ミセセルは、神のことばとしての託宣であり神託であるといわれている。しかし、伝えられているミセセルの内容を検討してみると、祝詞(のりと)であるオタカベとの違いを明らかにすることが困難である。これと同じことは、奄美、宮古、八重山の呪祷文学についてもいえる。島々の呪詞、呪言には多くの呼称があり、地域的な変容と内容の変遷または重なりなどを複雑にもっているため、呼称に対応した区別をすることはきわめてむずかしい。なかには、神々の呪縛と呪祷的な心意を離れ、地区の歴史や人事を語る叙事歌的内容に変わっているものもある。ただそれらすべてに共通するのは、人と神との間をつなげる呪詞としての機能をもっているものである、ということである。
〔2〕叙事文学 叙事文学には、奄美のナガレ歌、八月踊歌、ユングトゥ、沖縄のクェーナ、ウムイ、オモロ、宮古の長アーグ、クイチャーアーグ、八重山のアヨー、ジラバ、ユンタ、ユングトゥなどがある。叙事文学もまた、歴史的変遷のなかでその区別を困難にしてしまったアヨー、ジラバ、ユンタなどがあり、さらに、呪祷と叙事と叙情との区別をしがたいほどに内容の重なりがみられるものすらある。それらの大部分は農耕儀礼にかかわりが深く、神々の呪縛のなかに初源的な生命を育て、呪祷的心意や叙事性を含み込んだまま、共同体の生活の場に大きく広がっていったものである。沖縄のクェーナは、村落共同体の繁栄や幸福を願う願望を、対語・対句を連ね、連続・進行的に叙述していく典型的な叙事的歌謡である。クェーナで謡われる主題は、漁労、稲作、雨乞(あまご)い、航海、船造り、家造り、布織りなどである。ウムイも、その内容、形態、そして信仰的機能、伝承地域までクェーナと重なりあっていて区別がつけにくいが、より多様な生活形態を包み込んで神々との接触を保っている。ウムイのなかには、対語・対句の形をもつクェーナに近いものと、構造的に繰り返すオモロに近いものとがあり、クェーナ的な歌形や心意から抜け出し、構造的に繰り返しうる新しい歌形をつくりだしていく姿をみることができる。アマウェーダーとよばれるクェーナをみると、稲作のための整地から種播(たねま)き、稲の成育、刈り入れまでの過程を、順序よくていねいに謡い込んでいる。このような生産のための生活経験を歌に謡い込めて伝承し、神祭りの場で予祝的に謡うというパターンは、奄美のナガレ歌、宮古のアーグ、八重山のアヨーにも共通してみることができる。稲作その他の生産過程を言霊にすがりながら幻視的に表現することがそのまま豊穣につながっていくのだという信仰があり、そのような信仰や意識を基盤にしたクェーナ的古謡が生まれてきたようである。こういうクェーナ的古謡の形態と発想は、奄美、沖縄、宮古、八重山を通ずる南島古謡の基本的性格をなすものであるといえる。ウムイとオモロは本来同じものであるが、地方のウムイが呼称、歌形、内容など、中央的に整理され、宮廷歌謡として整えられていったものがオモロである。
〔3〕叙情文学 叙情文学には、奄美の島歌、沖縄の琉歌(りゅうか)、宮古のクイチャー、トーガニ、シュンカニ、八重山の節歌(ふしうた)、トゥバラーマ、スンカニなどがある。島歌、琉歌、節歌などは総括的な呼称で、それぞれのなかでまた長歌形式と短歌形式に分けることができる。いずれも、もとは単にウタとよばれたものであるが、沖縄のウタが琉歌といわれるようになったのは、日本の和歌が、唐歌(からうた)に対して和歌と称して区別されるようになったのと同じ事情であり、それぞれの地域における地域的変容と特性をもっている。琉歌は「短歌形式」「長歌形式」に二分し、前者に「短歌」「仲風(なかふう)」を、後者に「長歌」「つらね」「木遣(きや)り」「口説(くどき)」を区分することができる。「短歌」は、八八八六の4句30音からなる定型の短い文学形式である。普通にウタといい、「琉歌」というときにはこれをさす。「仲風」は、七五八六の4句26音、もしくは五五八六の4句24音からなる定型の「短歌」である。上句が和歌調であり、下句が琉歌調であるところに「仲風」の特徴がある。「長歌」は、八八八八と8音を連続し、末句を6音で締めくくる形式の歌である。8音の連続性が「短歌」より長いことが特徴であるが、長いといっても「短歌」に比べてという程度で、さらに長い「長歌」は、別のジャンルの「つらね」に近くなってくる。8音を連ねて末句を6音で締めくくる構造化の原理は、「長歌」「つらね」ともに同じであり、その点「短歌」も例外ではない。「長歌」の数はそう多くはなく、せいぜい20首内外というところである。「つらね」と「長歌」の違いは、「つらね」のほうが長い歌形であること、書簡体という方式をとっていること、内容に物語性を内包していること、の三つをあげることができる。「木遣り」は、八八音の連続を基調にし、8音の間にハヤシ(囃子)が入る歌で、建築用材を山から下ろして引いて行くときに歌われる特殊な労働歌である。いまでは「木遣り」のほとんどが失われ、わずかに那覇で歌われていたものが残されているだけである。「口説」は、七五音の連続を基調にし、いわゆる和文調の歌である。和語も取り入れられているし、読みも和風に読むのが正しい。もともと薩摩(さつま)役人たちをもてなす宴席で歌われたという。
〔4〕劇文学 劇文学には、奄美の諸鈍(しょどん)芝居、狂言、沖縄の組踊(くみおどり)、狂言、人形芝居、歌劇、宮古・八重山の組踊、狂言などが伝わっている。組踊は、沖縄の言語、文学、芸能をもって総合的に構成された沖縄独自の楽劇である。島々に伝わる伝説、説話を劇性の支えとし、方言による古語を積極的に取り入れながら沖縄的な八・八調の音律に調え舞踊もまた古くから伝わる「こねり」「しぬぐ」などの祭式舞踊を組み合わせて構成されている。1719年、尚敬王(しょうけいおう)の冊封(さくほう)の際、玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が踊奉行(ぶぎょう)として冊封使招待の宴の余興のために創作したのが始まりといわれている。沖縄、宮古、八重山に伝わる狂言はそれぞれに独自であり、風土に根ざした「笑いの文学」であるが、奄美の与論島の狂言には大和(やまと)狂言がかなり入っている。八重山の竹富島(たけとみじま)の狂言は、神に捧(ささ)げる厳粛な「ジンヌキョンギン」(例の狂言)と即興のことばで笑いを引き出す「バラシキョンギン」(笑い狂言)の二つに分かれていて特異である。諸鈍芝居というのは、奄美に伝わる諸芸能の組合せで構成されており、初めに出てきて祝福の口上を述べる長者の大主(うふしゅ)、次に演じられる狂言など、沖縄の村踊の構成とよく似ている。沖永良部島(おきのえらぶじま)の「蛇踊(じゃおどり)」は、踊りとはいっているが劇的要素をもっており、組踊の変形かと思われる。
 人形芝居は俗にチョンダラー(京太郎)といい、ニンブチャー(念仏者)、ヤンザヤー(万歳屋)ともいわれるが、伝承者たちはフトゥキマーシー(仏舞わし。仏は人形のこと)といっていたようである。人形を操って各地を門付して歩いたもので、大和からの渡来であるという。首里に伝わっていたチョンダラーは第二次世界大戦後絶滅し、いまでは、沖縄本島中部の泡瀬(あわせ)と北部の宜野座(ぎのざ)に伝承されている。
 歌劇は沖縄独特の歌舞劇である。台詞(せりふ)を琉歌の節にあわせて掛け合いで歌い、しぐさや踊りを交えながら劇を進めていくという形をとる。その代表的な作品は『泊阿嘉(とまいあーかー)』であるが、ほかに『奥山の牡丹(ぼたん)』『辺土名(へんとな)ハンドー小(ぐわ)』などがある。組踊の劇性が、とかく王府や士族階層のもつ道徳律に縛られがちであったのに比べ、歌劇は庶民の生活の場にある喜びや悲しみが巧みにくみ上げられている。歌劇にはまた、『泊阿嘉』の伊平屋島(いへやじま)、『辺土名ハンドー小』の伊江島(いえじま)など、組踊のもたなかった地理空間の広がりがあることや、組踊『花売りの縁』と歌劇『奥山の牡丹』のように、筋の展開において重なりをもちながら、一方がめでたく終わるのに対し、一方は悲劇で終わるという構成をもつなど、それだけ歌劇が組踊より幅広い劇性をもつようになったことを意味するもので、劇構成の発展的要素をそこにみることができる。[外間守善]

近代文学

沖縄古代人の文学意識や文学伝統は、呪祷から叙事、叙情へと、沖縄の思想と風土をくみ上げ、沖縄文学の独自性を貫く形で数百年も発展してきた。しかし、明治初年、幕藩体制の崩壊による日本の国家統一、近代化の発展過程で、沖縄もまた日本的体制のなかに組み込まれることになったため、政治、経済、文化の諸面にわたって大きな変動がおこった。文学の場も例外ではなかった。まず、ことばの面で日本的標準語が沖縄語の上にかぶさったため、文学の媒体も沖縄語(方言)によるよりは標準語を使ったほうが、より広い場と支持を得るようになってきた。文学環境のまったく新しい広がりとでもいうことができるこのような変革をめどにして、沖縄における古代文学と近代文学の境目にすることができる。文学媒体の言語のみならず、社会の変動に伴う文学意識の改まりも、はっきりとした様相を呈してくる。しかし、沖縄の島々を日本的体制のなかに組み入れようとする上からの力は、さまざまな制度的差別、社会的差別を伴いつつ覆いかぶさったため、恵み豊かな平和に安住してきた沖縄の人々の心に深い傷痕をとどめた側面があった。山之口貘(やまのぐちばく)(1903―63)の、「お国は?」と聞かれて、一言「沖縄」といえない心の屈折をつづった『会話』と題する詩は、辺境「沖縄」であることの社会的被差別の痛みであり、それはそのまま沖縄の近代化の、歴史的苦悩でもあったわけである。1879年(明治12)の廃藩置県以後、日本的標準語を使うことで近代文学への足掛りをつくった沖縄の文学は、明治30年代に「近代短歌」「詩」、40年代に「小説」という新しい文学形式を獲得してのち、中央の文学と同質化しようとする懸命な努力を試みることになるが、山之口貘の独特な詩風を除いては、みるべき作品は生んでいない。沖縄の近代文学が、自覚的かつ自立的な文学として歩み出すのは、戦後の昭和30年以降に待たなければならない。[外間守善]
『外間守善編『鑑賞日本古典文学25 南島文学』(1976・角川書店)』

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