改訂新版 世界大百科事典 「沙鍋屯洞窟」の意味・わかりやすい解説
沙鍋屯洞窟 (さかとんどうくつ)
Shā guō tún dòng kū
中国,遼寧省錦西県沙鍋屯にある新石器時代の洞窟遺跡。1921年J.G.アンダーソンが調査。洞窟は石灰岩の山麓にあり,奥行き6m,幅2.2~2.5m,堆積層の厚さ2.2mの小規模なものである。遺物は磨製石器と細石器の伝統を残す打製石器,仰韶文化風の彩陶片,縄蓆文や刻文または貼付文の粗質土器,竜山様式の無文の良質黒色土器,骨器,装身具などがある。先史時代の文化層は6層に細分される。アンダーソンはこの堆積層を同一時期のものと考えたが,最下層の細石器と彩陶に代表される層は紅山第1期文化に,また第2層の人骨,骨器と装飾品は紅山第2期文化に相当し,中原の東周にあたる。人骨は45体分が粉砕され,焼けたものが混じっていた。アンダーソンは人間を犠牲にした祭祀場と推測したが,現在では共同墓地と解釈されている。また彩陶の発見は,黄河流域の仰韶文化の北方への波及を示すものと考えられている。
→赤峰
執筆者:横田 禎昭
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