改訂新版 世界大百科事典 「赤峰」の意味・わかりやすい解説
赤峰 (せきほう)
Chì fēng
中国,内モンゴル自治区南東部の市。人口115万(2000)。北東の英金河畔に赤褐色の山があることからその名がある。モンゴル名ウラン・ハダUlaan Had(赤い山)。古くから,満州,モンゴル,中国本土の諸地方を結ぶ交通要地で,三国時代には烏桓(うがん),鮮卑,隋・唐代には契丹など諸民族の拠点となったが,18世紀初め清朝の支配下に入り,以後しだいに漢族居住者が増加,1778年(乾隆43),はじめて赤峰という漢名の県が設置された。今日でも東北地方,北京,錦州などの渤海湾岸の諸都市をつなぐ鉄道,自動車道路の要地である。解放後,付近に鉄鉱石などの地下資源が開発されているほか,周辺地域の畜産物による毛紡織や皮革工業,さらに製薬工業などもみられるようになった。
執筆者:小野 菊雄 赤峰市付近には新石器時代から青銅器時代にかけての遺跡があって発掘されている。その代表的な遺跡に紅山後,夏家店,薬王廟などがある(夏家店遺跡)。赤峰付近の遺跡は,1908年鳥居竜蔵の踏査以来,その存在は古くから知られていた。35年東亜考古学会の浜田耕作らが紅山後を調査し,また56年には呂遵諤,裴文中らが紅山後の北大溝と紅山前を調査した。紅山後は赤峰市の東北6km,英金河畔にある高さ200mの紅山と呼ばれる花コウ岩の丘陵の東麓一帯にある黄土台地で,第1次文化の住地,第2次文化の住地と墓が発見された。第1次文化は紅山文化と呼ばれ,彩陶,粗陶,石斧,石庖丁,石犂,石鏃,細石器を伴い,黄河流域の仰韶文化の影響を受けている。赤褐色磨研壺,鬲(れき),鉢,環状石斧,袋穂状青銅斧の鋳型などを出す第2次文化の住地は,夏家店下層文化に属し殷代に並行する。紅陶の鬲,壺,鉢,有孔石斧,骨錐,銅鏃,銅釦(どうこう)(ボタン),銅鐶,小玉,棗玉(なつめだま)などの副葬品を伴う花コウ岩の板石を組み合わせた多数の箱式石棺墓からなる第2次文化の墓地は,夏家店上層文化に属し春秋戦国時代に相当する。北大溝は青銅器文化に属し戦国時代以前のもの。紅山南麓の紅山前にはそれぞれ紅山文化と戦国時代・漢代の遺物を出す地点がある。夏家店は下層文化が殷代に,上層文化は周代に並行する。薬王廟は夏家店下層文化に一致する。このほか赤峰北西9kmに西水泉遺跡があり,紅山文化の方形の竪穴式住居址が発見されている。
執筆者:横田 禎昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報