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沢山保羅 さわやまぽうろ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

沢山保羅
さわやまぽうろ

[生]嘉永5(1852).3.22. 周防
[没]1887.3.27. 大阪
牧師,教育者。神戸に出て D.C.グリーンの推薦でアメリカに遊学。同地で回心,伝道を決意して 1876年帰国。 77年浪花教会設立。また梅花女学校を創立した。特に彼の教会の自給独立の精神は注目された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

沢山保羅 さわやま-ぽうろ

1852-1887 明治時代の牧師。
嘉永(かえい)5年3月22日生まれ。明治5年渡米,ノースウェスタン大にまなび,キリスト教徒となり馬之進から保羅と改名。9年帰国,10年大阪に浪花公会を設立。11年梅花女学校(現梅花学園)を創立,のち校長となった。外国の援助にたよらない,日本の教会の自給独立論をとなえた。明治20年3月27日死去。36歳。周防(すおう)(山口県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

沢山保羅

没年:明治20.3.27(1887)
生年:嘉永5.3.22(1852.5.10)
明治のキリスト教牧師。山口の吉敷毛利家の諸士源之丞の長男。神戸に赴き,宣教師D.C.グリーン宅で英語を学び,明治5(1872)年,私費で渡米。イリノイ州で聖書などを学び受洗,馬之進から保羅と改名。帰国後の同9年,月給150円の官界への勧誘をけり月給7円の牧師になる。外国の教会の資金援助は日本の教会に有害という立場で,日本最初の完全自給を目指し自ら創立した浪花公会(浪花教会),梅花女学校(梅花学園)でそれを達成させる。この自主独立の精神は他派にも影響を与えた。同16年大阪の宣教師会議で日本の教会自給論を発表,外国人宣教師不用論とも受け取られ反響を呼ぶ。厳格な倫理と経済面での自己犠牲を教会員に求める一方,除籍者を含む会員の名を記した手垢と涙跡の祈りのカードを最期まで離さず,岸和田,郡山,新潟と地方伝道に尽力。生涯貧困に耐え,結核と闘い,相次ぐ肉親の訃報を被る薄幸病臥の沢山を見舞った植村正久は号泣したという。後代の邦人信徒,牧師から崇敬されることとなった明治の教界代表者。<参考文献>Jinzo Naruse 《A Modern Paul in Japan》,武本喜代蔵,古木虎三郎『沢山保羅伝』,芹野与太郎『祈の人 沢山保羅』,笠井秋生,佐野安仁,茂義樹『沢山保羅』,梅花学園編『沢山保羅研究』1号~7号

(大江満)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

さわやまぽうろ【沢山保羅】

1852‐87(嘉永5‐明治20)
日本組合教会牧師。アメリカのノース・ウェスタン大学で学び,その間にキリスト教徒となる。1877年大阪で浪花教会を創立し牧会にあたる。翌年梅花女学校(現,梅花学園)を開設,校長となる。83年組合教会の伝道会社総会で発表した《日本教会費自給論》にみられるように,外国の伝道会社の援助に頼らず日本のキリスト教徒自身で教会・伝道・学校の維持と活動を行うという方針を強く唱えた。【波多野 和夫】

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