出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
河原町通
かわらまちどおり
豊臣秀吉の京都都市改造後に開かれた通り。上・中・下京を南北に貫通。開通年代は不詳だが、寛永以後万治以前京都全図には既に丸太町通以北に記されており、また、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は本通の沿革を次のように記す。
<資料は省略されています>
天正一九年(一五九一)、豊臣秀吉が御土居築造を行ったとき、東側を鴨川西岸としたのは、頻発する鴨川の氾濫に対する施策であったが、その後御土居の東側に町家が徐々に建てられたことから、寛文期(一六六一―七三)に鴨川の新堤が作られ、洛中の区域が拡大。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
河原町通
かわらまちどおり
京都市街を南北に通ずる街路。北は今出川(いまでがわ)通の北の葵橋(あおいばし)西詰から南は十条通まで、鴨(かも)川の西岸近くを並行して走る。三条と四条との間は、四条通や新京極(しんきょうごく)とともに市内の繁華街をなし、デパート、商店などが集まり、四条通との交差点の四条河原町は阪急電鉄京都本線のターミナル(京都河原町駅)をなす。また三条から以北の沿道には、京都市役所、京都ホテルオークラ、京都府立医科大学、同付属病院などがある。
[織田武雄]
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河原町通
かわらまちどおり
京都市の市街地中央部よりやや東を南北に通じる街路。鴨川の西側を並行して,南の十条通りから北の今出川通まで通じ,延長約 6km。平安京の頃は鴨川の河原であったことからこの名がある。昭和の初め道路が拡張され,路面電車が走るようになってから商店街が発達。ことに三条と四条の間は京都市の代表的なショッピングセンター。沿道には渉成園,市役所,府立医科大学などがある。
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