河島醇(読み)カワシマ アツシ

20世紀日本人名事典 「河島醇」の解説

河島 醇
カワシマ アツシ

明治期の政治家,官僚 衆院議員(議員倶楽部);貴院議員(勅選);北海道庁長官。



生年
弘化4年3月6日(1847年)

没年
明治44(1911)年4月28日

出生地
薩摩国鹿児島城下長田町(鹿児島県)

別名
幼名=新之丞,号=磐石

経歴
明治7年外務書記官となり、その後ドイツロシア、オーストリア各公使館に勤務。この間各地の大学に学び、帰国後、大蔵権大書記官兼外務権大書記官。15年伊藤博文の渡欧随行。のち再三渡欧し、主にドイツの財政事務を調査。18年大蔵省参事官。23年以来鹿児島県より衆院議員当選4回。自由党、第三議会、同盟倶楽部、立憲革新党、議員倶楽部などに所属。30年日本勧業銀行総裁、32年滋賀、ついで福岡県知事、36年勅選貴院議員、39年北海道庁長官となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「河島醇」の解説

河島醇

没年:明治44.4.28(1911)
生年:弘化4.3.6(1847.4.20)
明治期の官僚,政治家。父は薩摩藩(鹿児島県)藩士河島新五郎。号は盤谷。藩校造士館で学ぶ。戊辰戦争で会津攻略などに参加したのち明治3(1870)年東伏見宮嘉彰(のちに小松宮彰仁)親王の英国留学に随行。7年,外務省1等書記官としてドイツ公使館勤務を命じられ,以後露,オーストリア各公使館に勤務しながら各地の大学で法律,経済,財政などを学ぶ。帰国後,15年伊藤博文の憲法調査の渡欧に随い,主にシュタインから行政学を学んだ。18年大蔵省参事官。中村元雄,加藤済と並んで大蔵3人男と称せられたが,憲政に関する意見書が受け入れられず辞職した。第1回衆院議員選挙(1890)には鹿児島から出馬して当選し自由党に所属したが,第3議会以後は同盟倶楽部,立憲革新党,議員倶楽部などを転々とし対外硬論を唱えた。30年議員を辞職し,日本勧業銀行総裁に就任したが,人件費抑制策などを株主が批判したために辞任。その後滋賀,福岡両県知事,北海道庁長官を歴任剛毅,豪傑の人といわれる。36年貴族院勅選議員。<参考文献>河野弘善『河島醇伝―日本勧業銀行初代総裁』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「河島醇」の解説

河島 醇
カワシマ アツシ


肩書
衆院議員,日本勧業銀行総裁

生年月日
弘化4年3月(1847年)

出身地
鹿児島長田町

経歴
明治4年外務書記官、その後ドイツ、ロシア、オーストリア各公使館に勤務、その間各地の大学に学び、帰国後大蔵権大書記官兼外務権大書記官。15年伊藤博文の渡欧に随行、のち再三渡欧、財政事務を調査、18年大蔵省参事官。23年以来鹿児島県より衆院議員当選4回。30年日本勧業銀行総裁、32年滋賀、ついで福岡県知事、36年勅選貴院議員、39年北海道庁長官となった。

没年月日
明治44年3月28日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河島醇」の解説

河島醇 かわしま-じゅん

1847-1911 明治時代の官僚,政治家。
弘化(こうか)4年3月6日生まれ。明治7年外務省書記官となり,ドイツなどの公使館に勤務。帰国後,大蔵省参事官をへて23年衆議院議員(当選4回,議員倶楽部)。30年日本勧業銀行総裁。のち滋賀・福岡の県知事,北海道庁長官を歴任。貴族院議員。明治44年4月28日死去。65歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。

河島醇 かわしま-あつし

かわしま-じゅん

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「河島醇」の解説

河島 醇 (かわしま あつし)

生年月日:1847年3月6日
明治時代の外務省官吏;滋賀・福岡県知事。日本勧業銀行総裁
1911年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android