河野鉄兜 (こうのてっとう)
生没年:1825-67(文政8-慶応3)
江戸後期の漢詩人,儒者。播磨の人。名は維羆,字は夢吉,通称絢夫,鉄兜は号。医者の家に生まれたが,詩を好み,15歳の時,一夜に100首を詠じたという。青年時,京都に上って,梁川星巌について詩を学んだ。1851年(嘉永4)播州林田藩の儒官となる。攘夷論者ではなかったが,松本奎堂,頼鴨涯(らいおうがい)(頼三樹三郎)などの勤王の志士と交わった。博学多能をもって聞こえ,本草学,仏教,絵画,和歌などにも通じていた。漢詩文では,詩学に精通していたことで知られる。詩文の作品は《鉄兜遺稿》3巻(1899)に収められる。
執筆者:日野 竜夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
河野鉄兜 こうの-てっとう
1826*-1867 江戸時代後期の儒者,漢詩人。
文政8年12月17日生まれ。儒者の吉田鶴仙,詩人の梁川星巌(やながわ-せいがん)らにまなぶ。医師を開業後,嘉永(かえい)4年播磨(はりま)(兵庫県)林田藩の藩校敬業館教授。頼(らい)三樹三郎ら勤王家と交遊があった。慶応3年2月6日死去。43歳。播磨出身。名は維羆。字(あざな)は夢吉。通称は俊蔵,絢夫。別号に秀野。著作に「詩徹」「小日本史」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
河野鉄兜 (こうのてっとう)
生年月日:1825年12月17日
江戸時代末期の漢詩人
1867年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 