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河野鉄兜 こうの

美術人名辞典の解説

河野鉄兜

江戸後期の医者・漢詩人。播磨生。名は維羆、字は夢吉、通称を絢夫、別号に秀野。幼少より学を好み、吉田鶴仙、のち梁川星巌に学ぶ。江戸・讚岐・大坂・九州を巡り、諸儒を訪問、また子弟の教育に尽力する。著書多数。慶応3年(1867)歿、43才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河野鉄兜 こうの-てっとう

1826*-1867 江戸時代後期の儒者,漢詩人。
文政8年12月17日生まれ。儒者の吉田鶴仙,詩人の梁川星巌(やながわ-せいがん)らにまなぶ。医師を開業後,嘉永(かえい)4年播磨(はりま)(兵庫県)林田藩の藩校敬業館教授。頼(らい)三樹三郎ら勤王家と交遊があった。慶応3年2月6日死去。43歳。播磨出身。名は維羆。字(あざな)は夢吉。通称は俊蔵,絢夫。別号に秀野。著作に「詩徹」「小日本史」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

河野鉄兜

没年:慶応3.2.6(1867.3.11)
生年:文政8(1825)
江戸後期の漢詩人。名は羆,維羆,字は夢吉,通称は俊蔵,絢夫,号は鉄兜,秀野。播磨国(兵庫県)網干の医者河野通仁の第3子。初め讃岐丸亀の吉田鶴仙に従学し,20歳のころ京都で梁川星巌に詩を学んだ。のち江戸に遊んで見聞を広め,嘉永5(1852)年28歳で林田藩(姫路市林田町)に仕官して藩校致道館の教授になり,藩主建部氏に尊王攘夷を説いた。詩は平淡を好んで白居易を高く評価した。「吾が著書等身を過ぎ,詩もまた万首を下らず」と自ら述べたように,精力的な作家でもあった。詩集に『鉄兜遺稿』など。<参考文献>松下忠『江戸時代の詩風詩論』

(揖斐高)

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世界大百科事典 第2版の解説

こうのてっとう【河野鉄兜】

1825‐67(文政8‐慶応3)
江戸後期の漢詩人,儒者。播磨の人。名は維羆,字は夢吉,通称絢夫,鉄兜は号。医者の家に生まれたが,詩を好み,15歳の時,一夜に100首を詠じたという。青年時,京都に上って,梁川星巌について詩を学んだ。1851年(嘉永4)播州林田藩の儒官となる。攘夷論者ではなかったが,松本奎堂,頼鴨涯(らいおうがい)(頼三樹三郎)などの勤王の志士と交わった。博学多能をもって聞こえ,本草学,仏教,絵画,和歌などにも通じていた。

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367日誕生日大事典の解説

河野鉄兜 (こうのてっとう)

生年月日:1825年12月17日
江戸時代末期の漢詩人
1867年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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