河野鷹思(読み)こうのたかし

百科事典マイペディア 「河野鷹思」の意味・わかりやすい解説

河野鷹思【こうのたかし】

グラフィックデザイナー。東京生れ。昭和期を通じて日本のグラフィック・デザイン界の隆盛に大きく貢献した。1924年東京美術学校図案科卒。松竹に入社し広告制作に携わる。1934年日本工房に参加し,対外宣伝誌《NIPPON》のデザインを担当。1941年に軍に徴用され,翌年よりジャカルタ駐在,宣伝活動に当る。戦後,新東宝撮影所の美術監督や《New Japan》のアートディレクターを務め,1957年にはデザイン事務所〈デスカ〉を設立。1960年の世界デザイン会議のシンボルマークをデザインしたほか,ニューヨーク万博(1964年)の日本館,大阪万博(1970年)の日本館の展示設計を担当した。
→関連項目福田繁雄

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野鷹思」の解説

河野鷹思 こうの-たかし

1906-1999 昭和-平成時代のグラフィックデザイナー
明治39年3月21日生まれ。昭和4年松竹キネマにはいり,宣伝,舞台装置を担当。9年日本工房にうつり,雑誌「NIPPON」の表紙を手がける。26年亀倉雄策らと日本宣伝美術会を創立。女子美大教授,愛知県立芸大学長をつとめる。平成11年3月23日死去。93歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は孝。

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世界大百科事典(旧版)内の河野鷹思の言及

【ポスター】より

橋口五葉,杉浦非水(1876‐1965)などがアール・ヌーボー風のポスターを描き,グラフィック・デザインの新しい歴史を切り開く。1920年代に入ると村山知義,柳瀬正夢の構成主義的なポスターや山名文夫(あやお)(1897‐1980),河野鷹思(こうのたかし)(1906‐ )などのモダニズム系のポスターが目だつようになる。30年代に入ると,名取洋之助を中心として結成された〈日本工房〉がドイツの写真やデザインをとり入れてグラフィック・デザインを試み,第2次大戦後の日本におけるモダン・デザインの一つの起点となった。…

※「河野鷹思」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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