日本歴史地名大系 「河陽離宮跡」の解説 河陽離宮跡かやのりきゆうあと 京都府:乙訓郡大山崎町大山崎河陽離宮跡[現在地名]大山崎町字大山崎現離宮(りきゆう)八幡宮付近にあった嵯峨天皇によって開設された離宮。平安遷都以来桓武天皇は山崎の西隣摂津国水無瀬(みなせ)野(現大阪府三島郡島本町)に遊猟を行ったが、嵯峨天皇も水無瀬野や淀川の川向いである河内国交野(かたの)(現大阪府)に遊猟を試みた。その足場のためであろう、弘仁四年(八一三)には山崎駅が行宮とされた(「日本後紀」二月一六日条)。次いで弘仁五年には「山埼離宮」(「類聚国史」二月一七日)、弘仁一〇年には「河陽宮」(同書二月二一日)の名称が史料に現れる。駅舎を遊猟のための行宮に利用したことから進んで、その風光を賞でて離宮が造営されたものであろう。離宮では漢詩の会も開かれた。「文華秀麗集」には、嵯峨天皇作の「河陽十詠、四首」、それに和した藤原冬嗣・仲雄王・朝野鹿取・滋野貞主らの詩などを収める。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by