泉野村(読み)いずみのむら

日本歴史地名大系 「泉野村」の解説

泉野村
いずみのむら

[現在地名]金沢市泉野一―六丁目・寺町(てらまち)一―二丁目・同四丁目・弥生(やよい)一丁目・泉(いずみ)が丘(おか)一丁目・長坂(ながさか)一丁目・泉野出町(いずみのでまち)一丁目・若草町(わかくさまち)・緑(みどり)が丘(おか)

泉野出村の北に位置する。西から北は城下に続き、城下と野田(のだ)山を結ぶ道(野田道)が通る。元来は泉村東方、犀川左岸、野田山の北西麓に広がる荒蕪地で泉野とよばれていた。金沢城下の伸張に伴って、南郊にあたる泉野(とくに鶴来往来・北陸街道・野田道沿い)は漸次町屋が立並び、また残余の地も開発されて当村や泉野出村などの新村が村立てされていった。元禄一四年(一七〇一)の書上(改作所旧記)によると、泉野は「野田道より十町計、南者伏見新村を限、西者泉村を限、東者野田山麓迄、北者犀川を限」る地で、「泉野村・泉野出村出来不仕以前者、松原」であった。

犀川大橋南詰から北陸街道に沿って南に延びる城下野(の)町は当初泉野町と称したといい、慶長(一五九六―一六一五)初年にはすでに町場化していた。


泉野村
いずみのむら

[現在地名]青森市泉野

原別(はらべつ)村の東に隣接する。年代ははっきりしないが、三代藩主津軽信義に仕えた鹿内瀬兵衛の子権右衛門が「横内組原別に住居、滝沢川を引て空地数十町を開墾し、泉野村といふを成就仕」という(「鹿内瀬兵衛由緒書」津軽興業誌)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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