日本歴史地名大系 「法喜庄」の解説 法喜庄ほつきのしよう 島根県:松江市旧島根郡地区法喜庄現松江市法吉(ほつき)町・東奥谷(ひがしおくだに)町などの地域にあったと推定される京都東福寺領庄園。法吉とも記す。応長元年(一三一一)六月一三日の奈子宗重代成光和与状(九条家文書)によると、「法喜庄」の預所教泉と所領支配をめぐって対立していた法喜庄御内(みうち)村一分地頭奈子宗重の代官成光が、宗重分領の田畠・山野・荒野以下を教泉と折半することで和解している。この和与状を受けて出された翌七月七日の六波羅下知状(同文書)には領家は京都東福寺と記され、本家は摂関家の九条家で、東福寺は預所を現地に派遣して庄園支配に当たらせていた。法喜庄の成立がいつまでさかのぼるのか明らかでないが、東福寺は嘉禎二年(一二三六)に九条道家によって創建された臨済宗寺院で、九条家からの寄進によって寺領を拡大していったことから、法喜庄も末次(すえつぐ)庄などとともに九条家から寄進されたものと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by