日本歴史地名大系 「法性寺村」の解説 法性寺村ほつしようじむら 愛知県:岡崎市法性寺村[現在地名]岡崎市法性寺町岡崎城下の南、矢作川と占部(うらべ)川(用水)に挟まれた沖積平野の入口に位置し、西は赤渋(あかしぶ)村、南は牧御堂(まきみどう)村、北は宮地(みやじ)村に接する。かつては周辺の上和田(かみわだ)・宮地・井内(いない)・赤渋など一二ヵ村で和田郷を構成していた。村名の起りは「本村ニ旧天台宗ノ寺アリ、和田山法性寺ト号シ、遂ニ村名トナル」(碧海郡六ッ美村郷土事蹟)とある。この法性寺の寺域には定光坊・杉本坊・密祥坊・中ノ坊・密厳坊・大円坊の六坊があり、このなかの定光坊の住僧永玖は学識があり、松平八代広忠の帰依を受けた。 法性寺村ほうしようじむら 茨城県:那珂郡緒川村法性寺村[現在地名]緒川村下小瀬(しもおせ)小瀬盆地の南端に位置し、四方は低い山に囲まれる。南部を国長(くにおさ)川が東に流れ、下小瀬村で緒川へ合流する。東北は下小瀬村。文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(秋田県立図書館蔵)には「法丈寺」とみえ、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「法性寺村」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by