日本歴史地名大系 「小瀬村」の解説
小瀬村
こせむら
武田氏滅亡後の天正一〇年(一五八二)六月一七日には窪田助之丞(正勝)に本領の小瀬村郷三貫五〇〇文などが安堵され(「徳川家印判状写」御庫本古文書纂)、一二月九日再安堵された(「徳川家印判状写」同古文書纂)。
小瀬村
おぜむら
- 岐阜県:関市
- 小瀬村
長良川左岸にあり、南は
「濃州徇行記」によれば、田畑七七町四反余、新田として元禄六年(一六九三)検地の七〇石余(田七町一反余・畑九町四反余)と延享元年(一七四四)検地の一八一石余(田一三町四反余・畑一〇町余)が加わる。
小瀬村
おぜむら
- 山口県:岩国市
- 小瀬村
山陽道が安芸国を過ぎ小瀬川を渡ると周防国に入るが、その入口にある村で、北東は小瀬川を境に安芸国、西は
「閥閲録」所収阿曾沼六左衛門家文書に、天文二三年(一五五四)五月の戦で戦功のあった阿曾沼少輔十郎宛の毛利元就父子の感状が残るが、その中に「至防州小瀬・御庄相動候之処」とみえる。村名の由来を「玖珂郡志」は「安芸周防二州ノ間、湍水有、巌谷ヨリ出、東ニ流レ平川トナル、名テ小瀬川ト云、其川村ヲ抱ヲ以、此称ヲ得タリト、湯原華表ノ銘ニアリ」とするが、川の名が村名によるのではなかろうか。小名に小瀬表・
小瀬村
おぜむら
小瀬村
こぜむら
小瀬村
こぜむら
- 山形県:米沢市
- 小瀬村
小瀬村
おぜむら
- 奈良県:生駒市
- 小瀬村
慶長郷帳の村高三五八・二八石、江戸時代初期は幕府領(代官大久保長安)。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領となり、延宝七年(一六七九)旗本松平信重領に編入。
小瀬村
こぜむら
小瀬村
こせむら
- 大阪府:貝塚市
- 小瀬村
津田川下流域の平野部の村。村域は両岸にわたるが、集落は左岸に形成され、下流は津田村。南郡に属する。慶長九年(一六〇四)の検地による村高は四六四石余で、うち二石余は
小瀬村
こせむら
小瀬村
こせむら
小瀬村
こせむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報