津下紋太郎(読み)ツゲ モンタロウ

20世紀日本人名事典 「津下紋太郎」の解説

津下 紋太郎
ツゲ モンタロウ

明治〜昭和期の実業家



生年
明治3年4月7日(1870年)

没年
昭和12(1937)年9月20日

出生地
備前国児島郡藤戸(岡山県倉敷市)

学歴〔年〕
同志社普通部〔明治23年〕卒,同志社本科神学部〔明治26年〕卒

経歴
備前国藤戸村で商家・津下豊次郎の長男として生まれる。小学校卒業の前年、京都同志社の神学生・亀山曻の持っていたウエブスターの辞書や金文字の洋書を見て向学心を起こす。亀山の影響で、明治17年岡山の協会で金森通倫から洗礼を受け、18年同志社普通部に入学。26年本科神学部を卒業し普通部で教鞭を執る。傍ら、協会で説教をしていたが、31年退任し帰郷。奈良県吉野の山林地主土倉庄三郎の子・龍次郎が同志社の同窓だった関係で、32年土倉家の台湾事業総支配人となり、山林開墾、樟脳の生産などの事業に携わる。40年退任し帰国。のち日本製鉄専務、宝田石油専務、大正10年〜昭和8年日本石油専務を歴任。この間、大正6年カルピス製造会長、のち日本工業会社社長などを務めた。また石油流通の権威として、昭和9年満州国財務部顧問に就任、同国の石油専売制を実現させた。著書に「津下紋太郎自伝」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津下紋太郎」の解説

津下紋太郎 つげ-もんたろう

1870-1937 明治-昭和時代前期の実業家。
明治3年4月7日生まれ。母校同志社普通学校の教師をへて明治32年奈良県吉野の山林地主土倉(どくら)家の台湾事業総支配人となる。のち日本製鉄,日本石油の専務,カルピス製造会長などをつとめた。昭和12年9月20日死去。68歳。備前(岡山県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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