種里城跡(読み)たねさとじようあと

日本歴史地名大系 「種里城跡」の解説

種里城跡
たねさとじようあと

[現在地名]鰺ヶ沢町種里町

赤石あかいし川の上流にあり、種里集落の西南約五〇〇メートル。比高約六〇メートル、東向きの山稜を利用した山城。別称は山上館。遺構三方が谷地で囲まれ、西方の一部が尾根続きで、東西約五〇〇メートル、南北約五五〇メートル。数郭からなっていたと思われるが、破壊されて昔日の面影はない。

延徳三年(一四九一)大浦光信が三二歳のとき、南部信時から鼻和はなわ郡を与えられて津軽の故地へ帰り、種里へ入部したといわれる(「前代歴譜」市立弘前図書館蔵)光信は大永六年(一五二六)この地で没した。光信の子盛信は大浦おおうら(現中津軽郡岩木町)を築き在住したので、種里城に住んだのは光信だけである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「種里城跡」の解説

たねさとじょうあと【種里城跡】


津軽氏城跡(つがるししろあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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