日本歴史地名大系 「浄禅寺」の解説 浄禅寺じようぜんじ 富山県:富山市富山城下寺町浄禅寺[現在地名]富山市梅沢町三丁目錦重山と号し、時宗。本尊阿弥陀如来。天神の篤信者であった開山畠山恵は、比叡山延暦寺で修行したが、越中帰国後、時宗二祖真教の教化をうけ、弘長三年(一二六三)に当寺を新川(にいかわ)郡新庄(しんじよう)に創建したという。寺蔵の菅公像は石榴天神像と称される。寺名は時衆過去帳(清浄光寺蔵)や遊行派末寺帳(同寺蔵)等にはみえないが、江戸期には富山藩唯一の時宗寺院であった。しかも慶長年中(一五九六―一六一五)富山に隠居した前田利長の尊崇を得た結果、金沢城下に加賀藩唯一の時宗寺院となる玉泉(ぎよくせん)寺が開かれ、泉野菅原(いずみのすがわら)神社が祀られた。 浄禅寺じようぜんじ 京都市:南区上鳥羽村浄禅寺[現在地名]南区上鳥羽岩ノ本町恵光山と号し、浄土宗西山禅林寺派。本堂には本尊阿弥陀如来立像、観音堂には等身の聖観音立像が安置される。由緒・沿革は定かではないが、地蔵堂にある地蔵尊は、古くから京都六地蔵の一つとして親しまれ、今も八月二二日・二三日は、六地蔵巡りの参詣客で賑いをみせる。また門脇にある「袈裟御前塔」と称する五輪石塔と、その前方にある「恋塚碑」は、しばしば下鳥羽(しもとば)(現京都市伏見区)の恋塚(こいづか)寺に残る袈裟御前の物語と混同されがちである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報