浜坂浦(読み)はまさかうら

日本歴史地名大系 「浜坂浦」の解説

浜坂浦
はまさかうら

[現在地名]芦原町浜坂

北潟きたがた湖と外海(日本海)の境にあり、湖を挟んで東岸の吉崎よしさき(現金津町)および塩屋しおや(現石川県加賀市)に対峙する。北潟湖から外海への水戸口について、「越前国名蹟考」は「水戸口広十二間半、東ハ加州塩屋浦、西ハ浜坂浦ノ浜也、深一丈、水戸口ニ黒子岩ト云アリ、浜坂ノ分ナリ」と述べている。当浦砂丘上にある松は「汐越の松」と称して古くから知られ、「朝倉始末記」に記す「塩越ノ浜」も当浦の海岸をさすものと思われる。

地名は「坪江下郷三国湊年貢夫役等事」(大乗院文書、年未詳)中の「坪江下郷北方年貢夫役等事」に「浜坂」と記される。江戸時代は福井藩領。当浦には慶長三年(一五九八)検地帳(照順寺文書)があり、同帳によれば田方四町三反余・畑方一一町六反余、分米二四五・一一石で、舟役・山手・浜地子があった。また安永二年(一七七三)福井藩金津領村鏡(高橋家文書)によれば、戸数一九八、人数八〇一(男四三二・女三六九)で、渡海船五艘(羽ヶ瀬舟二艘・弁才舟三艘)・猟舟一七艘・板舟三艘・引舟三艘・小廻り舟三艘を所持し、海運漁業に従事するものも多くいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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