日本歴史地名大系 「浜坂浦」の解説
浜坂浦
はまさかうら
地名は「坪江下郷三国湊年貢夫役等事」(大乗院文書、年未詳)中の「坪江下郷北方年貢夫役等事」に「浜坂」と記される。江戸時代は福井藩領。当浦には慶長三年(一五九八)の検地帳(照順寺文書)があり、同帳によれば田方四町三反余・畑方一一町六反余、分米二四五・一一石で、舟役・山手・浜地子があった。また安永二年(一七七三)の福井藩金津領村鏡(高橋家文書)によれば、戸数一九八、人数八〇一(男四三二・女三六九)で、渡海船五艘(羽ヶ瀬舟二艘・弁才舟三艘)・猟舟一七艘・板舟三艘・引舟三艘・小廻り舟三艘を所持し、海運・漁業に従事するものも多くいた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報