浦尻村(読み)うらしりむら

日本歴史地名大系 「浦尻村」の解説

浦尻村
うらしりむら

[現在地名]土佐清水市浦尻・あさひ町・緑ヶ丘みどりがおか

中浜なかのはま村の北方足摺あしずり半島の最もくびれた部分の西岸に広がる清水湾の奥および同湾に流入する浦尻川の流域を占める。村域は海岸部(現旭町・緑ヶ丘および通称厚生町)から内陸部(浦尻)に広がり、「土佐州郡志」には「在足摺山西、東西七町許南北十町許、戸凡二十許、大碇・小碇属本村」とある。現在当地の小字名に唐船島とうせんじま(島名)・かぢ山・大碇谷おおいかりだに・小碇谷・はがま石・船場ふなばなどがあり(土佐清水市史)、清水湊の一角として機能していたことをうかがわせる。

浦尻村
うらじりむら

[現在地名]延岡市浦城町うらしろまち安井町やすいまち

川島かわしま村の東に位置し、南東は海に面する。永正(一五〇四―二一)頃には川島村に属し、左右津村と称したというが不詳(日向地誌)。浦尻浦・浦城村とも記される。寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)に村名がみえ、高九二石。万治四年(一六六一)延岡藩村高内検高覚では内検高六九石余。元禄五年(一六九二)の延岡藩領郷村高帳写(三浦家文書)では高九二石で、ほかに新田高三石余・新田出高二石余がある。

浦尻村
うらじりむら

[現在地名]小高町浦尻

東は太平洋に臨み、井田川いだがわ浦の南岸に位置する。対岸蛯沢えびさわ村、南は丘陵を隔てて標葉しねは棚塩たなしお(現浪江町)に接する。なお井田川浦は、大正九年(一九二〇)からの干拓工事によって現在は消滅している。初め標葉郷に属し、正保郷帳では標葉郡内として田方一三二石余・畑方四六石余。明暦二年(一六五六)から小高郷の所属となる(奥相志)。同年の高二六九石余(相馬藩政史)。元禄郷帳によると高二五八石余。なお元禄検地高は三三五石余、ほかに新田四六石余がある(奥相志)。天明三年(一七八三)と嘉永元年(一八四八)の家数三六(検地石高収納戸口等調)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android