海東荘(読み)かいとうのしょう

百科事典マイペディア 「海東荘」の意味・わかりやすい解説

海東荘【かいとうのしょう】

尾張国海東郡・中島郡にかけての地にあった荘園。現愛知県海部郡甚目寺(じもくじ)町・美和町(いずれも合併してあま市)の北部,稲沢市の南部にかけての地域に比定される。海東上荘・海東中荘・海東下荘からなり,海東三ヵ荘とも称された。上荘内には松葉郷・太山寺郷・新屋郷などがあった。立荘の時期,事情などは不明。本家は京都蓮華王(れんげおう)院で,南北朝期までその支配が確認される。領家職は池禅尼から平頼盛に伝えられ,いったん源頼朝に没収された後頼盛に返付され,頼盛から子光盛からその娘,さらには久我(こが)通忠室を経て久我家領となり,以後同家に相伝された。地頭職には1197年に熱田大宮司一族の藤原有範が任じられているが,承久の乱後は下野の小山朝政に与えられ,以後鎌倉時代を通じ小山氏が保持したとみられる。中荘地頭職は1342年から京都真如寺領となり,その後京都等持寺領となった。また1351年足利尊氏から土岐頼重に与えられた海東氏跡は,1358年京都天竜寺に寄進されるなど,南北朝時代以後地頭職は細分化された。領家久我氏の現地支配は応永(1394年―1428年)頃まで続いたようである。鎌倉〜室町時代を通じ諸職年貢未進,所務などをめぐる領家・地頭らの相論が繰り返された。

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改訂新版 世界大百科事典 「海東荘」の意味・わかりやすい解説

海東荘 (かいとうのしょう)

尾張国海東郡,中島郡(現,愛知県あま市の旧甚目寺(じもくじ)町北部,旧美和町北部,稲沢市南東部)の荘園。京都蓮華王院領。上中下3ヵ荘。12世紀後半には成立していた。絹,糸,綿,米,銭などを年貢として納入。中荘は作田90町前後。領家職は,池禅尼-平頼盛-平光盛息女-久我通忠室を経て久我家に相伝された。地頭職は,1197年(建久8)熱田大宮司一族藤原有範が補任されたが,承久の乱で没収され,以後鎌倉時代を通じて小山氏が相伝した。しかし,建武政権下で改補され,南北朝時代以降,中荘は京都真如寺のち京都等持寺に,庶子等の跡は京都天竜寺にあてがわれた。鎌倉時代には,宿や市,公文職,年貢未進をめぐる領家と地頭の相論が,南北朝時代以降には,上荘内松葉郷(荘),新屋(にいや)郷,太山寺郷,庶子等跡や中荘において,年貢未進や所務についての領家と地頭の相論があった。14世紀後半に代官請成立。1488年(長享2)《蔭涼軒日録》が終末所見。
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