〓華王院(読み)れんげおういん

改訂新版 世界大百科事典 「〓華王院」の意味・わかりやすい解説

華王院 (れんげおういん)

京都市東山区にある天台宗山門派の寺。本堂内陣の柱間が33間あるので三十三間堂ともいう。当寺は後白河法皇勅願によって,1164年(長寛2)法皇が住んだ法住寺殿の西側の現在地に創建された。造営費は平清盛が負担し,本堂に観音千体を安置したので,当初は法住寺殿千体観音堂とも呼ばれた。だが,創建の諸堂は1249年(建長1)炎上し,現在の本堂(国宝)は1266年(文永3)の再建。創建以来,多くの荘園を領したが,中世末には寺領収入も減少して寺運も衰え,北隣に豊臣秀吉方広寺大仏を造営したときその支配下に入り,さらに豊臣家滅亡後は妙法院の管理下に移されて,今日に至っている。有名な三十三間堂の〈通し矢〉は本堂の裏の回縁で行われ,66間を射通す矢数の多少を競うもので,とくに江戸時代に盛行し,1686年(貞享3)4月27日,紀州藩の佐和大八郎は1万5000本を射て,そのうち8133本を射通す記録をつくったという。
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本堂は千体仏を安置するために桁行35間,梁間5間のきわめて細長い平面をもち,うち四周1間分は庇間である。柱間装置は前面板扉,側面背面は連子窓で要所に板扉を開き,内部は二重虹梁蟇股,化粧屋根裏天井で桁行中央間3間のみ折上組入天井とするなど伝統的な様式をよく伝え,京都における鎌倉時代和様建築の代表的遺構。内陣中央に安置された本尊千手観音座像(1254,国宝)は大仏師湛慶82歳の大作で,鎌倉中期の代表的彫刻。本尊の左右におのおの10段5列に500体ずつの千手観音立像(重要文化財)が林立し,千体仏を構成する。大部分は湛慶一門の作だが,創建当初の像も124体を数える。内陣背面の二十八部衆立像,風神雷神像(いずれも国宝)は写実的な鎌倉彫刻の傑作で,作風からみて湛慶の造仏に先行する鎌倉初期の作とされる。三十三間堂および堂内の千体観音は,鎌倉中期の再建ながら,平安末に数多くみられた千体観音堂の唯一の遺構として貴重である。なお南大門(1600,重要文化財)および築地塀(重要文化財,桃山)は秀吉によって三十三間堂が方広寺境内にとり入れられたときのもので,後者は〈太閤塀〉として知られる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の〓華王院の言及

【長島荘】より

…肥前国杵島郡(現,佐賀県武雄市)に設定されていた京都蓮華王院領の荘園。荘域中央部に郡の惣鎮守武雄神社が鎮座し,この地方の開発も同社によって行われ,951年(天暦5)の武雄社領四至実検状に〈東限 長嶋大路鎮祭隈〉と見える。…

【名田荘】より

…平安末期に盛信入道の所領であった名田郷が前身。1168年(仁安3)相博(交換)により伊予内侍(藤原基房妻)が取得,ほどなく蓮華王院を本家と仰ぎ荘号を名のることとなったらしい。上・下両荘に分かれ,上荘は上村・坂本・中村・下村,下荘は知見・三重・田村の各村から成っていた。…

【平安時代美術】より

…特に勝光明院(1136)は鳳凰堂を模したことで知られる。後白河法皇の造立した法住寺殿は東山七条に所在し,北殿,南殿からなり,1164年(長寛2)に郭内に造営された蓮華王院は千体の観音を安置した三十三間堂(現在の堂は鎌倉時代の再建)と五重塔からなる。 後期の現存遺構には浄瑠璃寺本堂(九体堂。…

【妙法院】より

…9世紀前期,延暦寺西塔の宝幢院検校恵亮(えりよう)を初代とし,天台座主快修のころから妙法院を称したという。快修の甥に当たる天台僧昌雲は,後白河法皇が創立した法住寺御所内の蓮華王院(三十三間堂)鎮守新日吉社の検校となり妙法院と号し,その門弟実全があとをついで天台座主となり,京都綾小路に自坊をかまえ正式に妙法院の号をたてた。ついで後高倉院皇子尊性法親王が天台座主となってここに住し,新日吉社,金剛念仏三昧院以下多数の寺院の検校職を兼ね,天台三門跡の一つとして勢力を振るった。…

【和様建築】より

…奈良では鎌倉時代の興福寺北円堂(1210),同三重塔(12世紀末),法隆寺聖霊院(1284),室町時代の興福寺東金堂,同五重塔などが古代的な和様で,元興寺極楽坊本堂(1244),長弓寺本堂(1279)などは大仏様の細部をとり入れている。京都の蓮華王院本堂(1266),大報恩寺本堂(1227),滋賀県の石山寺多宝塔(1194),西明寺三重塔(鎌倉中期)なども和様の代表作である。折衷様では広島明王院本堂(1321)は禅宗様とその他の大陸の影響があり,和歌山松生院本堂(1295。…

※「〓華王院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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