海津宿・海津湊(読み)かいづしゆく・かいづみなと

日本歴史地名大系 「海津宿・海津湊」の解説

海津宿・海津湊
かいづしゆく・かいづみなと

[現在地名]マキノ町海津

西近江路の近江国最北端の宿場で、南は今津いまづ宿(現今津町)、北は山中やまなか宿(現福井県敦賀市)へ続く。同時に琵琶湖舟運の拠点の一つで、近世初期には三〇万石にものぼる加賀米が越前敦賀から七里半しちりはん越を通り、当地から船に乗せられ大津へ運ばれた。慶長三年(一五九八)の大津まで八里の運賃は五〇石船一艘当り銀一六匁五分を基準とし、船の大小に応じて決めるよう定められていた(「豊臣秀吉朱印状」芦浦観音寺文書)。寛永一二年(一六三五)堅田は海津が艫折廻船の特権をもつ「諸浦」の船に荷を積ませなかったと幕府に訴えている(居初文書)。慶安三年(一六五〇)から翌四年にかけて横渡り荷物(大津以外に向けた荷物)や城米(大名年貢米)の輸送をめぐり、堅田と激しく争い悲惨な暴力事件も引起されている(木村文書)。湖上輸送の権利をめぐる紛争はその後も絶えなかったと思われる。当湊では船持仲間を舟道とよび、寛永一三年には問屋舟道一〇名がいた。二〇〇石積以下一〇〇艘を浦株とし、うち一四艘は西浜にしはま村に属した(高島郡誌)。慶安二年船数帳では五〇艘・海津脇一一艘とある。延宝九年船数帳では船七九、加子二一六、脇船三、加子一五。寛延四年船株覚では八六株を所持。元禄期(一六八八―一七〇四)を最高として以後徐々に船数は減っていく。これは日本海の西廻航路発達の影響と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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