日本歴史地名大系 「海老塚村」の解説 海老塚村えびつかむら 静岡県:浜松市旧敷知郡・引佐郡地区海老塚村[現在地名]浜松市海老塚町・海老塚一―二丁目・砂山町(すなやまちよう)浜松城下の南に位置し、西は伊場(いば)村、東は龍禅寺(りゆうぜんじ)村、南は浅田(あさだ)村。天正一八年(一五九〇)一二月二八日の豊臣秀吉朱印状(久能山東照宮文書)および慶長八年(一六〇三)九月一五日の徳川家康朱印状(二諦坊文書)によれば、海老塚(徳川家康朱印状では海老塚村)のうち三〇石など都合四五石が二諦(にたい)坊に寄進され、三河・遠江・駿河三国の白山先達職も安堵されている。以後この二諦坊領は代々の将軍によって安堵された(同文書)。松平忠頼領郷村帳に「ゑひつか村」とみえ、高四八石、田八反・畑四町三反余、うち「浜松惣堀ニ成」として六石余、ほかに白山領三〇石。 海老塚村えびつかむら 静岡県:磐田郡豊田町海老塚村[現在地名]豊田町海老塚磐田原台地の扇状部南西端の下に位置する。東部を祝(いわい)川、西端を寺谷(てらだに)用水幹川がともに南流し、村の北端を東海道が通り、西の下万能(しもまんのう)村に続く。天正一七年(一五八九)七月七日の徳川家七ヵ条定書写(御庫本古文書纂)の宛先に海老塚藤右衛門とある。正保郷帳に村名がみえ、幕府領、田方二一五石余・畑方五六石余。国立史料館本元禄郷帳・享保郷村高帳ともに旗本松平領。旧高旧領取調帳では旗本大河内領。「遠淡海地志」によると家数四三。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by