日本歴史地名大系 「海老沢村」の解説 海老沢村えびさわむら 茨城県:東茨城郡茨城町海老沢村[現在地名]茨城町海老沢涸(ひ)沼の南西岸にあり、西は神宿(かみやど)村。慶長七年(一六〇二)秋田氏領となったことを示す御知行之覚(秋田家文書)に、ゑび沢村三六二・一六石とある。江戸時代は水戸藩領で元禄郷帳に「海老沢村」とみえる。天保一三年(一八四二)の検地では田畠五一町余、分米四一一石余(新編常陸国誌)。「水府志料」による戸数およそ六五。涸沼水運の荷受河岸があり、同書に「野州、奥州より江戸江運送の諸荷物、東海は那珂湊より涸沼に入り、西は那珂川を下りて同所に入る、此所より下吉影迄陸地二里を駄送し、小舟にて小流をはしけ、北浦に出て、鹿島浦より利根川に入て、江戸に赴く」とみえる。 海老沢村えびさわむら 福島県:河沼郡会津坂下町海老沢村[現在地名]会津坂下町海老細(えびさい)阿賀川左岸にあり、南東は細工名(さいくな)村、南は下茅津(しもかいづ)村。村南を越後街道が東西に通り、熊野神社前に一里塚跡がある。東西二区に分れて住み、それぞれを東住(ひがしずみ)・西住とよぶ(新編会津風土記)。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高三六〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by