涼菟(読み)りょうと

精選版 日本国語大辞典 「涼菟」の意味・読み・例文・類語

りょうとリャウト【涼菟】

  1. いわたりょうと(岩田涼菟)

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改訂新版 世界大百科事典 「涼菟」の意味・わかりやすい解説

涼菟 (りょうと)
生没年:1659-1717(万治2-享保2)

江戸前期の俳人。本姓は秦,ふだんは岩田氏を称した。名は正致。初号は団友,のち団友斎を別号とする。伊勢の下級神職。初め談林系に属したが,晩年芭蕉に入門。1694年(元禄7),伊勢に庵を構えた支考親交を結び,美濃派・伊勢派の出発点となった《伊勢新百韻》(1698)の連句一座,また,支考が俳諧の〈真・草・行〉を示そうと巻いた《三疋猿》(1704)にも同座する。伊勢派の中心人物として各地に行脚し,北越・九州等を勢力圏とした。晩年,足代弘氏に始まる神風館3世となる。俳風は平俗軽妙。編著は《皮籠摺》《山中集》《潮とろみ》等。〈川音につれて鳴出すかじか哉〉(《其帒》)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「涼菟」の意味・わかりやすい解説

涼菟
りょうと
(1659―1717)

江戸中期の俳人。本名岩田正致(まさゆき)。通称権七郎。初め団友(だんゆう)、のち団友斎と号し、俳統神風館3世を継いだ。伊勢(いせ)神宮の神官一説に神楽男(かぐらおとこ)とする)であったが、早くから俳諧(はいかい)に親しみ、晩年の芭蕉(ばしょう)に入門した。伊勢派とよばれる一派を開き、北陸、九州、京都など各地に行脚(あんぎゃ)を重ね、弟子乙由(おつゆう)とともに、その勢力の拡張に精力的に活動した。作風は、支考の美濃(みの)派と同様、軽妙平俗であったが、俳諧の地方への普及に果たした功績は大きい。編著に『皮籠摺(かわごずれ)』『山中集』などがある。

[堀切 實]

 こがらしの一日吹いて居りにけり

『各務虎雄著『岩田涼菟』(『俳句講座3』所収・1959・明治書院)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「涼菟」の解説

涼菟 りょうと

岩田涼菟(いわた-りょうと)

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