伊勢派(読み)イセハ

百科事典マイペディアの解説

伊勢派【いせは】

俳諧流派。芭蕉最晩年の門人涼菟(りょうと)が伊勢俳壇の神風館の名号を継承,また一方に麦林舎乙由(おつゆう)のグループがあって涼菟と協調したが,その両者の総称。卑俗でわかりやすい作風を特色とし,その点でよく似た支考の流派〈美濃派〉と連携して勢力を拡大した。それには伊勢神宮御師の組織力も与っていたといわれる。しかし,他門からは美濃派と併せて〈田舎蕉門〉〈支麦(しばく)の徒〉と蔑称されもした。
→関連項目蝶夢天明俳諧

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世界大百科事典 第2版の解説

いせは【伊勢派】

俳諧流派。荒木田守武(もりたけ)以来俳諧の盛んであった伊勢に,17世紀の末から18世紀の初めにかけて栄えた,涼菟(りようと),乙由(おつゆう)を中心とする蕉門の一派(伊勢蕉門)。乙由の別号から麦林(ばくりん)派,江戸蕉門に対して田舎蕉門,支考(しこう)一派を加えて支麦(しばく)の徒などとも呼ばれた。支考が伊勢に新庵を結び〈平談俗語〉を唱えたのが伊勢風の始まりで,門人の乙由,一有門の涼菟が加わり,全国に勢力を伸ばした。

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大辞林 第三版の解説

いせは【伊勢派】

俳諧の一派。荒木田守武を祖として、伊勢国におこり、杉木望一・岩田涼菟りようと・中川乙由おつゆうなどの俳人を生んだ。涼菟・乙由を中心とする蕉門一派をさすことが多い。伊勢流。麦林調。
本居宣長を中心とする和歌の一派。 → 江戸派桂園派

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊勢派
いせは

俳諧(はいかい)流派。伊勢風とも。一説には、荒木田守武(もりたけ)以来の独自な伊勢俳諧の総称ともいうが、一般的には、岩田涼菟(りょうと)、中川乙由(おつゆう)を中心とする伊勢蕉門(しょうもん)の称。一派は、芭蕉(ばしょう)の説く高悟帰俗、軽みから派生した俗談平話を標榜(ひょうぼう)し、平明卑俗な俳風を特色とした。涼菟、乙由は蕉門というものの、とりわけ各務支考(かがみしこう)から多大の影響を受けた。そのため伊勢派は支考の美濃(みの)派と近似し、両派は支考と乙由(麦林(ばくりん))との流派の意味で、支麦の徒ともよばれた。その俳諧は俗耳に入りやすく、伊勢はもとより北陸筋にまで大きな勢力をもったが、他派からは美濃派ともども田舎(いなか)蕉門と蔑視(べっし)された。涼菟は足代弘氏(あじろひろうじ)に始まる神風館を再興して3世となり、その流れは4世曽北(そぼく)、5世梅路(ばいろ)、6世温故と続いている。一方、乙由の跡は子息麦浪(ばくろう)が受け継いだ。
 伊勢派は、卑近、平俗のゆえに低い評価を受けがちであったが中興期の担い手柳居(りゅうきょ)、涼袋(りょうたい)、樗良(ちょら)、闌更(らんこう)などに影響を与えた点は注目される。[岡本 勝]

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世界大百科事典内の伊勢派の言及

【伊勢笠付】より

…伊勢山田で毎冬夜会即点で行われた笠付の一種。伊勢派俳諧で句作りの練習法として考案され,1716年(享保1)ごろから行われ,樗良(ちよら)なども参加した。当初は4字の名詞題に助詞1字と12字を付ける〈寒声―の足まで潮が満ちて来る〉(《二重袋》)のような形であったが,寛政(1789‐1801)ごろから字数にかまわぬ長題が出され,〈退屈をした所へ―お茶漬などといふて来る〉(寛政10年の会所本)のように変わった。…

※「伊勢派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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