淀江村(読み)よどえむら

日本歴史地名大系 「淀江村」の解説

淀江村
よどえむら

[現在地名]淀江町淀江

今津いまづ村の南西にあり、西端を北流する宇田うだ川が美保みほ湾に注ぐ。伯耆街道のほか大山道(坊領道)溝口みぞくち(現溝口町)に至る道が通る。宿場町・在町として当地方の中心地であり、湊もあった。「大山寺縁起」に「宇多河の下庄淀江」とみえ、一四世紀には伯州衆の一人淀江右衛門尉がいたと推測される(大館常興書札抄)。戦国時代は西伯耆の戦略上の要地とされ、淀江城が築かれて、大永四年(一五二四)五月には尼子氏軍勢が同城を攻略したという(伯耆民諺記)。永禄七年(一五六四)と推定される七月二四日の小早川隆景・吉川元春・毛利元就連署書状(閥閲録)に「従杵築明日三百俵、至淀江差上候」とあり、河岡かわおか(現米子市)城主山田満重に、出雲杵築きづき(現島根県大社町)から当地の村上太左衛門尉のもとへ兵粮米三〇〇俵を送るので、受取のため人を派遣するよう指示している。翌年八月美保関みほのせき(現島根県美保関町)を出発した毛利軍が淀江に上陸し、尼子軍の拠る江尾えび(現江府町)を攻撃したという(森脇覚書)。同一二年巻返しに出た尼子勝久軍が淀江城を攻略している(出雲私史)

元禄元年(一六八八)に書改められた寛永一〇年(一六三三)の地詰帳(淀江町役場蔵)によれば、反別は田四五町二反余・畑四町四反余。検地役人は乾兵部大輔・佐藤小左衛門・今井七兵衛。拝領高は九四〇石余、本免四ツ六歩。延享三年(一七四六)の汗入郡御通筋村々厘付帳(門脇家文書)によれば、高一千一八石余、うち精明しようみよう寺領八斗・永荒高引一石余、新開高九四石余。土免四ツ六歩・請免四ツ四歩。家数二八五、男五七二・女五八二、牛三五・馬四九、うち宿馬一四。戸口に比して耕地が少なく畑がちで、無高の農民も多かった。天保三年(一八三二)の山林反別は三三町八反余、藪役銀二匁、浦役米七斗余が課されていた(藩史)幕末の六郡郷村生高竈付では生高七三二石余、竈数四六一。石高の減少は西原にしばら村分が引かれていることによる。

弘化四年(一八四七)の開作願書(門脇家文書)によれば、七〇年以前は竈数二三〇―二四〇軒ほどであったが、現在は六〇〇軒ほどもあって難渋していると訴え、新開を願っている。嘉永二年(一八四九)には宇田川河口東側波除囲の普請を嘆願した(「普請願書」同文書)。元治元年(一八六四)鳥取藩の家臣山口清弥が当村への在住を希望したが、村方から拒否されている(在方諸事控)用水妻木むき川・大谷おおたに堤などに依存した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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