日本歴史地名大系 「淀江村」の解説
淀江村
よどえむら
元禄元年(一六八八)に書改められた寛永一〇年(一六三三)の地詰帳(淀江町役場蔵)によれば、反別は田四五町二反余・畑四町四反余。検地役人は乾兵部大輔・佐藤小左衛門・今井七兵衛。拝領高は九四〇石余、本免四ツ六歩。延享三年(一七四六)の汗入郡御通筋村々厘付帳(門脇家文書)によれば、高一千一八石余、うち
弘化四年(一八四七)の開作願書(門脇家文書)によれば、七〇年以前は竈数二三〇―二四〇軒ほどであったが、現在は六〇〇軒ほどもあって難渋していると訴え、新開を願っている。嘉永二年(一八四九)には宇田川河口東側波除囲の普請を嘆願した(「普請願書」同文書)。元治元年(一八六四)鳥取藩の家臣山口清弥が当村への在住を希望したが、村方から拒否されている(在方諸事控)。用水は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報