清水将夫(読み)シミズ マサオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「清水将夫」の解説

清水 将夫
シミズ マサオ


職業
俳優

生年月日
明治41年 10月5日

出生地
東京・牛込

学歴
明治大学文科〔昭和2年〕中退

経歴
昭和2年新劇協会に参加、4年「クレオパトラ」で初舞台、同年秋市民座を結成した。その後松竹蒲田、新興キネマ映画出演、13年第1協団結成、15年劇団ぐるみ東宝に入った。映画出演のかたわら、18年滝沢修らと芸文座を創立し、応召で中国従軍、敗戦帰国。滝沢修らの東京芸術劇場に入り、滝沢と民衆芸術劇場劇団民芸の創立に尽力した。「炎の人」のゴーギャン、「オットーと呼ばれる日本人」のジョンスンなどで知られる。

没年月日
昭和50年 10月5日 (1975年)

家族
妻=高野 由美(女優)

伝記
蝶蘭の花が咲いたよ―演劇ジャーナリストの回想 尾崎 宏次 著(発行元 影書房 ’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「清水将夫」の解説

清水 将夫
シミズ マサオ

昭和期の俳優



生年
明治41(1908)年10月5日

没年
昭和50(1975)年10月5日

出生地
東京・牛込

学歴〔年〕
明治大学文科〔昭和2年〕中退

経歴
昭和2年新劇協会に参加、4年「クレオパトラ」で初舞台、同年秋市民座を結成した。その後松竹蒲田、新興キネマの映画に出演、13年第1協団結成、15年劇団ぐるみ東宝に入った。映画出演のかたわら、18年滝沢修らと芸文座を創立し、応召で中国従軍、敗戦で帰国。滝沢修らの東京芸術劇場に入り、滝沢と民衆芸術劇場、劇団民芸の創立に尽力した。「炎の人」のゴーギャン、「オットーと呼ばれる日本人」のジョンスンなどで知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清水将夫」の解説

清水将夫 しみず-まさお

1908-1975 昭和時代の俳優。
明治41年10月5日生まれ。昭和2年新劇協会にはいり,のち松竹蒲田(かまた),新興キネマ,東宝の映画に出演。18年滝沢修らと芸文座を創立。戦後は,劇団民芸の創立にくわわり,「炎の人」「桜の園」などに出演。映画は黒沢明作品などで活躍した。昭和50年10月5日死去。67歳。東京出身。明大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android