柔術の一流派。流祖は渋川伴五郎義方(ばんごろうよしかた)(1652―1704)。義方は関口流2代関口八郎左衛門氏業(うじなり)の高弟で1680年(延宝8)皆伝を得、師の薦めで信州松代(まつしろ)真田(さなだ)侯に仕えたが、のち江戸に出て、芝に道場武義堂(ぶぎどう)を開き、渋川流を称した。技術の内容は関口流を改編したものが大部分であったが、「心のねり」「践占(ふみしめ)」ということを強調したのが特色で、一躍有名となった。門人の弓場弾右衛門政賢(ゆばだんえもんまさかた)(のち友右衛門胤親(ともえもんたねちか))が2代目、その子資矩が3代目を継いだ。資矩は、長沼流兵学を佐枝尹重(さえぐさただしげ)に学んで免許を得て、大名らの門人も多く、道場を麻布我善坊(あざぶがぜんぼう)に移した。4代伴五郎時英(ときひで)(1720―97)は、幼少より聡明(そうめい)の誉れ高く、父について長沼流を修め、父のつくった柔術大意・同稽古規などの口義書をはじめ、『柔術目彙(もくい)』『柔術大成録』『薫風雑話』など、多数の著述を残し、理論的にも、体系的にも、渋川流を大成した。
[渡邉一郎]
…江戸前期の柔術家。渋川流柔術の祖。字(あざな)は義方。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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