渋沢元治(読み)シブサワ モトジ

20世紀日本人名事典 「渋沢元治」の解説

渋沢 元治
シブサワ モトジ

明治〜昭和期の電気工学者 名古屋帝国大学初代総長。



生年
明治9年10月25日(1876年)

没年
昭和50(1975)年2月22日

出生地
埼玉

学歴〔年〕
東京帝大工科大学電気工学科〔明治33年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治44年〕

主な受賞名〔年〕
文化功労者〔昭和30年〕

経歴
古河足尾鉱山に入り、渋沢栄一の渡米に同行、GE社工場で修業、ドイツのシーメンス社、スイスの大学に学んで帰国、明治39年逓信省技師となった。大正12年の関東大震災には電気課長として電気事業復興に尽力。のち鉄道院、臨時発電水力調査局、電気試験所各技師、逓信省電気技術課長、水力課長などを歴任し、昭和12年退官。この間大正8年から東京帝大教授を兼任し、昭和4年工学部長となり、12年定年退官。14〜21年名古屋帝大初代総長。電気学会会長、日本学士院会員、学術研究会議員などを務めた。30年文化功労者に選ばれ、電気協会に渋沢賞が設定された。著書に「電力問題講話」「電界百話」「送電工学総論」「電力応用講話」「五十年の回顧」「思い出の随想」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「渋沢元治」の意味・わかりやすい解説

渋沢元治 (しぶさわもとじ)
生没年:1876-1975(明治9-昭和50)

電気事業(発送電)を推進した電気行政官,電気工学者。名古屋帝国大学創設にあたり初代総長となった。埼玉県に生まれ,渋沢栄一の甥にあたる。1900年東京帝国大学電気工学科を卒業した。02年から06年まで外遊し,ドイツのジーメンス社,スイスのチューリヒ工科大学,アメリカのGE社の実習生,聴講生となった。帰国後は逓信省電気試験所に勤務し,19年から逓信省電気局技術課長となり,電気事業,電気技術の監督行政に従事した。なかでも,1909年および18-23年の水力電気調査は,基礎資源の調査としてそれまでになかった事業であり重要である。電気規格の標準化にも熱心で,1910年にはIEC(国際電気工芸委員会)の国内委員会を設立した。東京帝国大学電気工学科教授を併任し,24年から東京帝大教授専任となった。のち同工学部長,名古屋帝国大学総長となり,大学行政にも力をつくした。電気学会会長をつとめ,また日本人として初めてアメリカ電気学会副会長にも選ばれた。55年に文化功労者に選ばれた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渋沢元治」の解説

渋沢元治 しぶさわ-もとじ

1876-1975 明治-昭和時代の電気工学者。
明治9年10月25日生まれ。渋沢栄一の甥。欧米に留学後,逓信省にはいり,電気事業・電気技術の監督行政にあたる。大正8年から東京帝大教授を兼任。水力発電開発につくし,電気学会会長,日本人初のアメリカ電気学会名誉会員となる。昭和14年名古屋帝大初代総長。30年文化功労者。昭和50年2月22日死去。98歳。埼玉県出身。東京帝大卒。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「渋沢元治」の意味・わかりやすい解説

渋沢元治
しぶさわもとじ

[生]1876.10.25. 埼玉
[没]1975.2.22. 埼玉
電気工学者。東京大学電気工学科卒業 (1900) 。東京大学教授,同大学名誉教授。名古屋大学初代学長 (39) 。電気事業法確立,電気学会の発展貢献。日本学士院会員。 1955年文化功労者に選ばれた。主著『送電工学総論』『電界百話』。

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367日誕生日大事典 「渋沢元治」の解説

渋沢 元治 (しぶさわ もとじ)

生年月日:1876年10月25日
明治時代-昭和時代の電気工学者。名古屋帝国大学総長
1975年没

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