渡辺哲信(読み)ワタナベ テッシン

20世紀日本人名事典 「渡辺哲信」の解説

渡辺 哲信
ワタナベ テッシン

明治〜昭和期の僧侶,探検家



生年
明治7年9月12日(1874年)

没年
昭和32(1957)年3月17日

出生地
広島三原

学歴〔年〕
広島中〔明治23年〕卒,文学寮〔明治28年〕卒

経歴
三原の浄念寺に生まれる。明治29年ロシアのペテルスブルクに留学、30年帰国。32年のちの西本願寺派第22世門主・大谷光瑞同行して英国に留学。35年光瑞の第1次中央アジア探険に同行、36年タクマラカン砂模を縦断しキジル千仏洞を調査。37年探険を終えて一時帰国、のち北京へ。40年スウェーデンの探検家・ヘディンに清国のパスポートを周旋、のちロンドンへ。43年光瑞の妻と九条武子のヨーロッパ旅行に同行し、帰国。この年、西本願寺築地別院輪番となる。光瑞の西本願寺辞職ののち、大正4年輪番を辞職。5年項「報知新聞」北京特派員となり、のち北京の「順天時報」第4代社長。英字新聞「North China Standard」も刊行。昭和5年「順天時報」を廃刊し帰国、東京に在住。12年「新西域記」の刊行で、西域旅行時の日記が公となる。18年浄念寺に帰山。伝記に「忘れられた明治の探険家 渡辺哲信」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「渡辺哲信」の意味・わかりやすい解説

渡辺哲信
わたなべてっしん

[生]1874.9.12. 広島,三原
[没]1957.3.17.
浄土真宗本願寺派の僧,第1回大谷探検隊隊員。1902年ロンドンから帰国する大谷光瑞に随行して新疆に入り,堀賢雄とともにターシュクルガーン(塔什庫爾干)から大谷らと別れて,ホータン遺跡クチャ(庫車)遺跡(→キジル千仏洞),トゥルファン(吐魯番)遺跡などの仏教遺跡を調査した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺哲信」の解説

渡辺哲信 わたなべ-てっしん

1874-1957 明治-昭和時代の僧。
明治7年9月12日生まれ。浄土真宗西本願寺の大谷光瑞(こうずい)の命でロシアにおもむきロシア語をまなぶ。明治35年光瑞の西域・インド探検に随行し,帰途中央アジア,シルクロードの古代仏教遺跡を調査した。のち北京の中国語新聞「順天時報」社長。昭和32年3月17日死去。82歳。広島県出身。西本願寺文学寮高等科卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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