朝日日本歴史人物事典 「渡辺驥」の解説
渡辺驥
生年:天保7.9.9(1836.10.18)
明治初期の司法官。松代藩(長野県)藩士渡辺十太夫の長男。通称左太郎,号は中洲。佐久間象山に学び,同門の久坂玄瑞,中岡慎太郎らと接した。京都に出て倒幕運動に参加,維新の際には岩倉具視の密旨を受けて諸藩に使いし,戊辰戦争では東北方面に転戦した。明治2(1869)年6月刑部省弾正少疏に任ぜられ,以後弾正大疏,弾正大巡察,弾正少忠,司法大書記官と累進。12年11月太政官書記官を兼任。13年2月大審院勅任検事。次いで元老院議官を兼ね,14年10月大審院検事長。19年1月検事長を退き,23年9月貴族院議員に勅選された。
(楠精一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報