改訂新版 世界大百科事典 「湖熟文化」の意味・わかりやすい解説
湖熟文化 (こじゅくぶんか)
Hú shú wén huà
中国,江蘇省江寧県湖熟鎮遺跡を標準とする中原の殷周文化の影響を受けた青銅器文化。この文化は,長江(揚子江)下流域の南京地区を中心として,寧鎮山脈および秦淮河地域に分布している。1951年に湖熟鎮遺跡で調査されたのが最初であるが,これまでに発見された遺跡は200ヵ所近くに及び,発掘を経た典型的な遺跡には,南京市北陰陽営遺跡,太岡寺遺跡,句(こう)容城頭山遺跡,江寧県点将台遺跡などがあり,すべて,早期,晩期の地層関係を確認することができる。その絶対年代は,炭素14法で,早期が前1540±90年,晩期が前1195±105年の結果が得られている。しかし,出土遺物の考古学的性格から見ると実年代はこれより若干新しくなる可能性が強い。
使用された土器は手製が主で,最も多いのは縄文と付加堆文のある夾砂粗紅陶である。次が,泥質黒皮磨光陶と幾何形印文軟陶で,幾何形印文硬陶も出現している。代表的な器形には鬲(れき),豆,盆,罐,鉢などがあって,その型式は中原地区の西周土器に似ている。籾米の出土は,この文化が水稲栽培を農業生産の主たるものとしていた可能性を示し,良渚文化(良渚鎮遺跡)以来の水稲栽培の伝統が受け継がれていることを証明している。農業生産工具の主たるものは石器で,一般には磨製で穿孔技術も巧みである。農具の中で最も多いのは石鎌である。総数の半数以上を占め,弧背凹刃と弧背直刃の2種類がある。ほかに,斧,(ほん),刀などの石器も存在し,扁平有孔石斧,有肩石斧,有段石斧などは,この文化の典型的遺物である。漁労・狩猟用具としては,網錘,魚鉤,鏃,矛などが知られ,漁労や狩猟が生活経済のうえで重要な位置を占めていたことを示している。湖熟文化の遺跡が,沼沢や山野に隣接していることは,魚や獣類を入手し食料とするためにきわめて自然のことであった。狩猟に加えて,牛,羊,豚,犬などの家畜を飼っていたことも知られている。この文化を担った人々は既に青銅器を鋳造する技術を身につけていたが,鋳造されたものは,すべて小型の青銅工具で,斧,小刀,鏃などが存在する。湖熟文化の分布地区には,土墩(どとん)と呼ばれる集合墓が存在する。その年代はおおよそ西周前期から春秋戦国時代に至っている。土墩から出土する土器の器形と文様が湖熟文化のそれときわめて類似していて,土墩と湖熟文化が密接な関係を有し,時間的にも相互に連続していることを物語っている。
執筆者:飯島 武次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報