満州国協和会(読み)まんしゅうこくきょうわかい

日本大百科全書(ニッポニカ)「満州国協和会」の解説

満州国協和会
まんしゅうこくきょうわかい

1932年(昭和7)7月15日発会の「満州国」の官制国民組織。「満州国」発足後、山口重次(じゅうじ)、小沢開作(かいさく)らは協和党を組織し、「満州国」における民族協和と完全独立という建国精神を普及し、軍閥専制の封建主義、三民主義、共産主義に対決する思想戦を展開していたが、協和会はこの党のイデオロギーと構想だけを吸い上げて結成された。名誉総裁に執政溥儀(ふぎ)、会長に国務総理鄭孝胥(ていこうしょ)、名誉顧問に関東軍司令官本庄繁(ほんじょうしげる)、役員に各部大臣、日系高級官吏が就任した。「満州国」住民を会員とし、「建国精神作興竝(ならびに)王道政治の宣化」を目的として民衆の宣撫(せんぶ)教化にあたった。36年7月、名称を「満州帝国協和会」と改称するとともに、建国精神の普及と国民訓練のための唯一の思想的、教化的、政治的実践団体であり、政府の精神的母体であるとされ、政府と表裏一体の関係の挙国的国民動員組織となった。41年4月、機構と人事で政府と三位一体となり、戦時下では物心両面にわたる国民動員の役割を果たした。45年8月「満州国」崩壊とともに消滅

[君島和彦]

『満州国史編纂刊行会編『満州国史 各論』(1971・満蒙同胞援護会)』

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精選版 日本国語大辞典「満州国協和会」の解説

まんしゅうこく‐きょうわかい マンシウケフワクヮイ【満州国協和会】

満州国発足直後の昭和七年(一九三二)七月に、満州青年連盟を母体として結成された官製国民組織。関東軍の指導の下に、「王道楽土五族協和」のスローガンを掲げ民衆の教化宣撫にあたった。昭和二〇年(一九四五)消滅。

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デジタル大辞泉「満州国協和会」の解説

まんしゅうこく‐きょうわかい〔マンシウコクケフワクワイ〕【満州国協和会】

1932年に結成された満州国の官制国民組織。満州国住民を会員とし、宣撫工作・社会教化にあたったが、のち、総力戦体制なかでの人的、物的動員組織となった。45年、消滅。

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世界大百科事典内の満州国協和会の言及

【協和会】より

…満州国の官製的国民組織。正称は満州国協和会。日本の満州(中国東北)侵略による満州国の樹立後,1932年7月南満州鉄道の中堅社員を中心にした満州青年連盟を母体として結成され,名誉総裁に満州国執政溥儀(ふぎ),役員に各部大臣,関東軍首脳が就任した。…

【五族協和】より

…張学良政権を追放する軍事力を持つのは関東軍以外になく,関東軍はそうした後,満州国を指導する理念として〈民族協和〉を採用し,これを〈五族協和〉とも呼んだのである。五族協和が満州国の政策として実体化することはもちろんなかったが,国家翼賛組織として1932年(昭和7)に組織された〈満州国協和会〉が五族協和を実践するものとされていた。【平野 健一郎】。…

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