改訂新版 世界大百科事典 「協和会」の意味・わかりやすい解説
協和会 (きょうわかい)
日本の朝鮮植民地支配の時期,在日朝鮮人に対する内務省,警察当局を中心とした統制機関。1920年代はじめ在日朝鮮人の失業,人権侵害などの社会問題への対策として大阪府,神奈川県などが〈内鮮協会〉〈内鮮協和会〉をつくってその〈補導〉,取締り,同化につとめた。36年,大阪府における在日朝鮮人対策の経験を基礎として厚生省は予算措置を講じ全国的に各府県協和会をつくっていき,39年6月にはその統轄機関としての中央協和会を結成した。協和会は内務省,厚生省,各府県当局の現職幹部,警察署長らがその役職を占め,〈内鮮一体〉を目ざし,在日朝鮮人の〈救済保護,指導,矯風教化〉の名のもとに日本人への同化政策をおしすすめた。また戦争遂行に必要な労働力,軍人軍属への動員に協力させ,その思想,行動を監視し民族的なもののいっさいを抹殺・弾圧する警察行政の一翼を担った。44年11月,不利な戦局に対処して協和会を強化するため興生会と改称した。日本のいわゆる〈満州国〉では32年,在満青年連盟を母体としてその政策を浸透させるための満州国協和会がつくられた。
執筆者:朴 慶 植
協和会 (きょうわかい)
満州国の官製的国民組織。正称は満州国協和会。日本の満州(中国東北)侵略による満州国の樹立後,1932年7月南満州鉄道の中堅社員を中心にした満州青年連盟を母体として結成され,名誉総裁に満州国執政溥儀(ふぎ),役員に各部大臣,関東軍首脳が就任した。〈王道楽土・五族協和〉の指導理念と反共・反三民主義を掲げ,分会活動を通じて民衆の宣撫教化にあたった。36年7月改組により満州国の戦時体制に即応する挙国的国民動員組織となり,41年には満州国政府の行政機構と一体化され,その組織形態は日本の大政翼賛会をはじめ朝鮮,台湾,華北および南方占領地における民衆組織化の模範とされた。42年会員数は280万人に達し,傘下に協和青少年団,協和義勇奉公隊を擁し,また隣保組織の指導を通じて労働力徴発,農産物集荷にあたるなど,日本の戦争遂行に必要な満州の人的物的資源の徹底的動員を推進し,その活動の実態は指導理念とはあまりにも隔たっていた。45年8月満州国の崩壊と同時に解体した。
執筆者:鈴木 隆史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報