満明寺(読み)まんみようじ

日本歴史地名大系 「満明寺」の解説

満明寺
まんみようじ

[現在地名]小浜町雲仙

雲仙うんぜん温泉街にある。真言宗御室派。雲仙山と号し、古くは大乗だいじよう院とも号したという。本尊釈迦如来。古くより雲仙岳を霊地とする山岳信仰は、四面しめん(現温泉神社)とその別当の満明寺が中核であった。大宝元年(七〇一)行基の開創とも(和漢三才図会)、天平九年(七三七)創建とも(鎮西要略)、神護景雲元年(七六七)の創立とも伝える(謡曲本白雀)。温泉山縁起によれば、行基の開基、聖武天皇の勅願所で、往古は山内の諸坊のうち七〇〇坊が別所、三〇〇坊は釈迦堂の近辺にあり、釈迦堂の一帯は繁盛していたが、のち火災に襲われたという。また小地獄に近い一切経いつさいきようノ滝で行基が一切経を読み、当寺を開いたという伝承がある。宝亀九年(七七八)焼失、肥前国の田地一町につき一〇〇文が課されて再興されたと伝えるほか、光孝天皇から朱雀天皇の代の頃、堂塔や経典類を焼失したという。永久二年(一一一四)に定僧が再興、当時は札原ふだのはら(瀬戸石原か)に三〇〇坊、別所べつしよに七〇〇坊を擁していたと伝える(「温泉山堂塔建立並寄進田」同縁起など)。別所の北の雑木林にある巨石に大黒天像が刻まれる。安永七年(一七七八)の温泉山起立書(修験道史料集)によれば、温泉山一乗いちじよう院は満明寺を寺号とし、本尊は木造大日如来で京都仁和寺末。

観応二年(一三五一)「温泉山衆徒春覚御房」は深江ふかえ(現深江町)内の田地屋敷を安富氏(深江泰重)から買取っているが(同年九月一七日「安富泰重契約状案」深江文書)、泰重は正平一三年(一三五八)には重代相伝の所領という同村内の中野なかの名の田一町、田の尻たのしりの屋敷一ヵ所などを亡父泰長(寂猷)の追善として五ヵ年間温泉山真言道場の宝乗ほうじよう院に寄進しており(同年二月日「安富泰重田地等寄進状案」同文書)島原半島の有力者層の信仰があったことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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