源俊賢 (みなもとのとしかた)
生没年:960-1027(天徳4-万寿4)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
源俊賢
没年:万寿4.6.13(1027.7.19)
生年:天徳4(960)
平安中期の公卿。正二位。左大臣源高明 と右大臣藤原師輔の娘の子。一条天皇の蔵人頭を3年経験したのち,長徳1(995)年参議に任じられた。妹明子が藤原道長の妻となったこともあって,道長に追随し,道長から「勤公は人に勝る」といわれたが,口うるさい藤原実資にはその癒着ぶりを「貪欲,謀略その聞こえ高き人」と非難されている。そうした行動をとらせた背景に,父の失脚(969,安和の変)という負い目があったことが考えられる。寛仁1(1017)年権大納言に昇進。能吏であり,藤原行成,公任,斉信と並ぶ四納言。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
Sponserd by 
源俊賢 みなもとの-としかた
960-1027 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
天徳4年生まれ。源高明(たかあきら)の3男。母は藤原師輔(もろすけ)の娘。長徳元年(995)参議,寛仁(かんにん)元年(1017)権(ごんの)大納言。治部卿,皇太后宮大夫などをかねた。正二位。藤原道長の権勢をささえた能吏で,藤原公任(きんとう)らとともに一条朝の四納言と称される。万寿4年6月13日死去。68歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
源俊賢
みなもとのとしかた
[生]天徳4(960)
[没]万寿4(1027).6.13.
平安時代中期の廷臣。高明の3男。母は藤原師輔女。正暦3 (992) 年蔵人頭に任じ,3年後参議となって公卿に列し,藤原道長の全盛期に,藤原公任らとともに政務に力を尽した。正二位権大納言にまで上った。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 