朝日日本歴史人物事典 「源延」の解説
源延
生年:保元1(1156)
平安末期・鎌倉初期の天台浄土教の僧。伊勢を本貫(籍)とした武士で,のちに源頼朝の家人となった加藤景員の3男。伊豆の走湯権現(静岡県熱海市の伊豆山神社)に住し,房号を浄蓮房と称した。若いころ,比叡山で安居院流の澄憲について顕密を学び,次いで信濃国筑摩郡(長野県松本市)の法住寺にいた味岡流の忠済のもとで台密の奥義を究めた。その一方で,次第に浄土門に傾き,法然房源空に師事。元久1(1204)年には『浄土宗略要文』を与えられている。信濃の善光寺如来を厚く信仰して,毎年2,3度参詣したといい,承久3(1221)年には善光寺如来の模刻像を勧進により完成させたと伝える。建保1(1213)年,源実朝に法華,浄土両宗の趣旨を談義し,寛喜1(1229)年には三浦義村の要請で,相模国(神奈川県)三崎の海上で催された迎講の導師を勤めるなど,武士層に浄土思想を普及するのに大きな役割を果たした。なお,相模国松田郡に建立した西明寺(神奈川県足柄下郡大井町の最明寺)には,彼の所持した『往生要集』の古写本が伝来している。<参考文献>『吾妻鏡』『善光寺縁起』,金沢文庫編『金沢文庫古文書』,菊地勇次郎「『伊豆山源延』補考」(『金沢文庫研究』8巻1号),納富常天「三浦義村の迎講と伊豆山源延」(『三浦古文化』2号)
(牛山佳幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報