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源有雅 みなもとの ありまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

源有雅 みなもとの-ありまさ

1176-1221 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
安元2年生まれ。源雅賢(まさかた)の子。承元(じょうげん)3年(1209)参議。権(ごんの)中納言,正二位にすすむ。後鳥羽(ごとば)上皇の近臣で,神楽,催馬楽(さいばら)にたくみであった。承久(じょうきゅう)の乱で上皇方の軍をひきい,宇治で敗北。鎌倉におくられる途中,甲斐(かい)(山梨県)小瀬で承久3年7月29日殺された。46歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

源有雅

没年:承久3.7.29(1221.8.18)
生年:安元2(1176)
鎌倉前期の公卿。父は参議雅賢。母は伊予守藤原信経の娘。文治5(1189)年に侍従,翌年右少将となる。建仁3(1203)年に権右中将,元久1(1204)年正四位下,承元2(1208)年蔵人頭。翌年参議に昇り,公卿に列する。有雅の家は代々雅楽をよくし,彼もまた神楽,和琴,催馬楽に巧みであった。後鳥羽上皇の側近くに仕え,権臣藤原範光の婿となることによって昇進の機会を得,建暦2(1212)年に検非違使別当,また権中納言となる。承久の乱(1221)では後鳥羽上皇方の将として宇治に戦って敗退。出家して恭順の意を示すが六波羅に囚われ,鎌倉に送られる。途中甲斐国(山梨県)稲積庄において処刑された。

(本郷和人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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