朝日日本歴史人物事典 「源有雅」の解説
源有雅
生年:安元2(1176)
鎌倉前期の公卿。父は参議雅賢。母は伊予守藤原信経の娘。文治5(1189)年に侍従,翌年右少将となる。建仁3(1203)年に権右中将,元久1(1204)年正四位下,承元2(1208)年蔵人頭。翌年参議に昇り,公卿に列する。有雅の家は代々雅楽をよくし,彼もまた神楽,和琴,催馬楽に巧みであった。後鳥羽上皇の側近くに仕え,権臣藤原範光の婿となることによって昇進の機会を得,建暦2(1212)年に検非違使別当,また権中納言となる。承久の乱(1221)では後鳥羽上皇方の将として宇治に戦って敗退。出家して恭順の意を示すが六波羅に囚われ,鎌倉に送られる。途中甲斐国(山梨県)稲積庄において処刑された。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報