源氏山(読み)げんじやま

日本歴史地名大系 「源氏山」の解説

源氏山
げんじやま

十谷(じつこく)の北西部にある山。標高一八二七メートル。甲府盆地の西側に連なる巨摩山地のなかで北の櫛形(くしがた)山(二〇五一・七メートル)と南の御殿(ごてん)山(一六六九・九メートル)との中間部に位置する。南アルプス前衛の山並のなかにそびえ、源氏ヶ岳の城跡とよばれた。「甲斐国志」に「十谷村ノ西北ニ在リ湯島大嶺(おほたうげ)ヨリ東南ニ当ル城墟アリ」と記され、また「相伝フ新羅三郎義光コレニ居ルト二ノ曲輪・馬責場(せめば)ト云ヘル所アリ往時矢鏃・無名鉄具ノ類出タリ高山ニテ人跡至ラズ」とある。


源氏山
げんじやま

寿福(じゆふく)寺の背後の山。旗立(はたたて)山・御旗(みはた)山・亀谷(かめがやつ)山ともいう。貞治五年(一三六六)の「詞林采葉抄」には武庫(むこ)山ともいい、鎌倉の中央第一の勝地と伝える。標高九二・六メートル。山名は、前九年の役に父源頼義に従い朝敵安倍貞任・宗任を討つため東国に下った八幡太郎義家が、山上に白旗を立てたのに由来するという(鎌倉管領九代記)。

「吾妻鏡」嘉禎二年(一二三六)三月一四日条によると、若宮大路(わかみやおおじ)の東側に幕府を設営するとき、方角をただすため陰陽師が武蔵(むさし)大路の峰に登っているが、この峰は当山と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報