鰍沢町(読み)かじかざわちよう

日本歴史地名大系 「鰍沢町」の解説

鰍沢町
かじかざわちよう

面積:四六・八一平方キロ

甲府盆地の最南端、郡北部の東側に位置し、東は富士川を挟んで市川大門いちかわだいもん町、南東は六郷ろくごう町、南は中富なかとみ町、北は増穂ますほ町に接し、西は山地を隔てて早川はやかわ町。富士川の上流域に位置し、北東部は富士川沖積氾濫原にある。北西部は赤石あかいし山系に属し源氏げんじ山、南西部に御殿ごてん山がある。大柳おおやな川の上流に十谷じつこく区、中流柳川やながわ区・鳥屋とや区、下流の合流地付近に箱原はこばら区・鹿島かしま区がある。富士川右岸を国道五二号が走り、中部横断道路も東側をかすめて通過する予定である。

町域にはこれまで遺跡の存在があまり知られず、不明な部分が多かったため、平成五年(一九九三)町誌編纂事業の一環として分布調査が実施された。遺跡の分布をみると、当町は平坦面が少なく、遺跡が立地する場所も限定されるが、富士川・大柳川によって形成された河岸段丘面や尾根端部に展開する例が多くみられる。縄文時代の遺跡としては国見平くにみだいら遺跡・日向ひなた遺跡・船筵ふなむしろ遺跡などが知られる。国見平遺跡からは大型の石皿が採集され、日向遺跡からも磨製石斧・石棒・石皿などが発見されている。いずれの遺跡からも中期に属する土器片が採集されている。古墳時代の遺跡としては後期の土器片が採集された大法師おおぼしB遺跡が知られるのみである。甲府盆地への弥生・古墳文化の流入に富士川を遡上する経路も想定されるが、遺跡の希薄さから否定的な見解もある。平安時代の遺跡として日向遺跡・国見平遺跡・植村うえむら遺跡・船筵遺跡などが知られる。これらの遺跡からは、細片ではあるが一〇世紀段階を中心とした土師器が採集されている。かつて湖水であった甲府盆地の水を南山を切開いて落し、盆地一帯の開発を可能にしたという湖水伝説が多くあり、その行為者を行基とも奈良時代の国司ともいい、あるいは国建神・国母地蔵・蹴裂明神など神仏に求めているが、これは洪水に苦しめられた甲斐の人々の治水への願望が込められたもので、地形上水の出口とされる当町禹瀬うのせには蹴裂けさき明神が祀られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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