源田実(読み)ゲンダ ミノル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「源田実」の解説

源田 実
ゲンダ ミノル


肩書
元・参院議員(自民党),元・防衛庁航空幕僚長

生年月日
明治37年8月16日

出生地
広島県山県郡加計町

学歴
海兵(第52期)〔大正13年〕卒 海大〔昭和12年〕卒

経歴
昭和16年海軍第1艦隊参謀として真珠湾攻撃計画に参加、その後第343航空隊司令をつとめ、大佐終戦。名パイロットで知られ、「源田サーカス」の異名をとった。戦後防衛庁に入り、34年航空幕僚長。37年以来全国区から参院議員に当選4回。この間、43年自民党政調会国防部会長、59年裁判官弾劾裁判所裁判長に就任。61年7月引退。

受賞
リー・ジョン・オブ・メリット勲章(アメリカ)〔昭和37年〕 勲二等瑞宝章〔昭和49年〕 勲二等旭日重光章〔昭和56年〕

趣味
少林寺拳法(4段)

没年月日
平成1年8月15日

家族
兄=源田 松三(加計町町長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「源田実」の解説

源田 実
ゲンダ ミノル

昭和期の海軍軍人,政治家 元・参院議員(自民党);元・防衛庁航空幕僚長。



生年
明治37(1904)年8月16日

没年
平成1(1989)年8月15日

出生地
広島県山県郡加計町

学歴〔年〕
海兵(第52期)〔大正13年〕卒,海大〔昭和12年〕卒

主な受賞名〔年〕
リー・ジョン・オブ・メリット勲章(アメリカ)〔昭和37年〕,勲二等瑞宝章〔昭和49年〕,勲二等旭日重光章〔昭和56年〕

経歴
昭和16年海軍第1艦隊参謀として真珠湾攻撃の計画に参加、その後第343航空隊司令をつとめ、大佐で終戦。名パイロットで知られ、「源田サーカス」の異名をとった。戦後防衛庁に入り、34年航空幕僚長。37年以来全国区から参院議員に当選4回。この間、43年自民党政調会国防部会長、59年裁判官弾劾裁判所裁判長に就任。61年7月引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源田実」の意味・わかりやすい解説

源田実
げんだみのる

[生]1904.8.16. 広島
[没]1989.8.15. 愛媛
海軍軍人,政治家。 1924年海軍兵学校,37年海軍大学校卒業。 41年第1航空艦隊参謀として真珠湾攻撃立案,攻撃に参加したほか,ミッドウェー海戦に参加した。 44年大佐。第2次世界大戦後,航空自衛隊に入って,航空幕僚長 (1959~62) をつとめたのち,参議院議員 (62~86) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源田実」の解説

源田実 げんだ-みのる

1904-1989 昭和時代の軍人,政治家。
明治37年8月16日生まれ。昭和16年第一航空艦隊参謀として真珠湾攻撃の作戦計画を立案,指導。20年第三四三航空隊司令として紫電改部隊をひきいてたたかい,源田サーカスとよばれた。海軍大佐。戦後は航空自衛隊にはいり,34年航空幕僚長。37年参議院議員(当選4回,自民党)。平成元年8月15日死去。84歳。広島県出身。海軍大学校卒。著作に「海軍航空隊始末記」。

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367日誕生日大事典 「源田実」の解説

源田 実 (げんだ みのる)

生年月日:1904年8月16日
昭和時代の海軍軍人;政治家。参議院議員;防衛庁航空幕僚長
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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